時の流れの羅針盤 日本時事評論
コラム
最新の現代社会の問題点を深くえぐったコラムをリアルタイムに更新します。
コラム-No.27
先人の願いの実現をめざして
 (令和2年5月26日)

 新渡戸稲造(1862~1933)は、米国26代大統領(1901~1909)であるセオドア・ルーズベルト大統領も愛読した『武士道』の著者として広く知られています。新渡戸が、後藤新平に招聘されて台湾総督府の技師となり、臨時台湾糖務局長として、台湾の製糖業の基礎を築いたことも周知のことでしょう。明治34年に着任する以前は年間5万トンだった生産量が、昭和11年には年産100万トンになり、高雄市の台湾糖業博物館には「台湾砂糖之父」として胸像が飾られています。

 ここまでの経歴は知っていましたが、京都帝国大学から植民政策の論文で博士号を受けて同大学で講義を行い、次いで東京帝国大学教授となって、植民地学の創始者となったことを、富岡幸一郎著の『新大東亜戦争肯定論』で初めて知りました。

 富岡氏は新渡戸の『植民政策講義及論集』を引用し次のように新渡戸の考え方を紹介しています。

 「人類の事業としての『拓地植民』は、その最終的な目標をどこに置くべきなのか。西洋列強のように、ただ『自国民族』の『発展』をめざしていけば、そこには衝突が起こり、領土拡張のために争いがくりかえされる以外はない。新渡戸はこのような世界の現実を前にして、大英帝国のそれとも米国のそれとも異なる、『人類』のための『終局目標』としての植民政策の道を示すのである」

 そして、新渡戸が示した道を、次のように要約しています。

 「国家の領土はそれぞれ有しながらも、植民政策はただ自国領土の拡張としてではなく、その土地を開拓することで、国を越えて、人種を越えて、『人類の為めに最もよく利用する』ことを実現できる役割を荷った者が行なうべきだというのである。これは欧米列強の植民地主義に対するあきらかなアンチ・テーゼ(反論)であり、黒人や東洋人差別を超えて世界が進むべき殖産の理想を説いたものであろう」

 この新渡戸の理想を実現しようとした日本人は決して少なくなかったことを我々は忘れてはならないはずです。台湾や韓国、そして委任統治下の南洋群島やミクロネシアの島々に、自己の営利の為と同時に、現地の産業発展や住民の生活向上という志を抱いた、多くの日本の人々が渡っていきました。

 政府も、大阪帝国大学よりも早く、朝鮮に京城帝国大学、台湾に台北帝国大学を建設しました。あるいはミクロネシアの島々にも学校を建設したように、教育には大きな力を注ぎました。欧米の植民地政策とはまったく異なっています。

 「わが国も現地住民の自由を奪い、搾取を行った」という一面的な植民地批判は歴史の歪曲です。新渡戸の理想は厳しい国際情勢の中で道半ばでしたが、多くの先人が努力をしたことは、敗戦数十年が経っても、南洋の島々には日本統治自体を懐かしみ、日本人が戻ってくることを願っている人も多かったことで分かります。

 GHQにより戦前の歴史は大きく歪められてしまいました。しかし、アジアの植民地解放のために戦ったことをわが国の歴史に明記すべきです。アジアの国々を豊かにしたいと願った先人の存在を我々は心に刻み、その願いを実現することをこれからもわが国の目標に掲げていきたいものです。
コラム-No.26
検察庁改正法案の反対運動に踊らされるな
 (令和2年5月12日)

 検察官の定年延長のための検察庁法改正案に反対する運動がツイッターなどのSNSで盛り上がっています。最大の反対理由が、この改正で安倍総理が自分に都合の良い人事を行うことができるからというものです。要するに「検察官人事に内閣が介入して、政権への犯罪捜査を妨害するためだ」との邪推に基づいて、「三権分立が脅かされる」と叫んでいます。

 三権分立の真義を知らず、法案を読まない人々が踊らされていると言わざるを得ません。三権分立は、立法、行政、司法を独立の機関として、権力の集中や濫用を防止するための制度です。独立とはいっても、内閣総理大臣が最高裁判事を任命するように、相互に抑制、牽制し合う制度となっています。

 「独立」ではあっても、「不可侵」ではありません。かつて日本の軍部が「統帥権の独立」を掲げて、暴走してしまいました。これを招いたのは、軍部が政権による人事をも拒否して「不可侵」としたことを、政府や国会が容認したからです。

 東京新聞は社説で「政治が検察人事に介入できる仕組みでは国民の信頼を失う」と主張していますが、これでは検察庁を不可侵にしてしまいます。内閣が検事総長を任命する三権分立の制度の否定です。検察人事を不可侵にしたら、軍部のような暴走を招きかねません。戦前に、利権まみれの政治を批判して「清廉な軍部」を持ち上げたことが、軍部暴走を許した一因ですから、責任は新聞にもありますし、それを繰り返すのでしょうか。

 かつて検察庁ぐるみの不正事件がありました。年間数億円の調査活動費が、偽造領収書や虚偽の伝票により裏金とされ、検察庁の幹部職員の飲食費とされていました。それを告発した検事は微罪で逮捕され、実刑判決で刑務所送りとされました。また、元厚労省局長の犯罪を大阪の特捜部がでっち上げた事件もありました。不可侵の権力組織は必ず腐敗します。

 政治家の犯罪も捜査する検察の独立性が、政権などにより不正、不当に脅かされてはならないのは当然です。そのような運営を許さないように監視する責任は国会が負っています。それが三権分立であり、最終的には主権者である国民に責任があります。日弁連の副会長が「三権分立を揺るがすおそれさえある」と述べていますが、仕組みを知らない人に「安倍政権が三権分立を破壊しようとしている」と思わせる巧妙な言葉です。これに踊らされてはいけません。

 今回の定年延長のための改正は、黒川検事長の定年延期とは無関係であり、検察の人事へ介入するための法案ではないことは明らかです。それを理解している人々は少数でしょう。反安倍の政治運動に利用されているだけです。

 もっとも、国民が一致団結して武漢ウイルスと闘っている時に、このような不要不急の法案を提出して、国民に不信感を抱かせる政権運営に、長期政権の驕りがあると言わざるを得ません。
コラム-No.25
集団免疫の上手な獲得を目指そう
 (令和2年5月8日)

 武漢ウイルスの感染を収束させるには、多くの人が免疫を獲得する集団免疫が必要です。全人口の一定数が免疫を獲得して、1人の感染者が新たに何人に感染させるかという「基本再生産数」を1未満にすれば、感染拡大を防止できます。

 免疫を獲得するために必要なのがワクチンです。従来はワクチンの開発に2、3年かかっていましたが、今回は、ワクチンの生産開始が秋には始まりそうだと言われています。中国が先行していますが、米製薬大手ファイザーとドイツの新興バイオ医薬のビオンテックが共同開発する予防ワクチンの臨床試験が米国でも始まりました。すでにドイツでは4月から同じ段階の治験を開始しています。安全性を確認できれば年内に数百万~数千万本を生産できる見通しだそうです。

 現在開発中のワクチンは、死滅させたウイルスのタンパク質を皮下注射するものです。これによって産生される抗ウイルス抗体は、IgGクラスの中和抗体と言われるものです。IgGクラスの中和抗体は粘膜表面に分泌されないので、インフルエンザが最初に感染する気道の粘膜での働きはありません。そのため、ウイルスが気道の細胞に入り込むと、細胞から細胞へと感染が広がります。

 しかし、重症化は防止します。武漢ウイルスは血流を介して全身に広がることで重症化することが分かっています。ウイルスを退治するIgGは、血中で最も豊富に認められる抗体のクラスです。だから血流を介して広がる武漢ウイルスに対しては効果があり、重症化を防ぐことが期待できます。

 ワクチンが普及するまでは、感染拡大を防止する方法は、実際に多くの人が感染して、集団免疫を獲得するしか方法はありません。一つの地区で封じ込めに成功しても、他地区から持ち込まれ、再び感染が拡大する懸念があるからです。外出禁止などの「都市封鎖」は、ウイルスを殺すわけではありませんから、感染の拡大を緩やかにするだけです。

 武漢ウイルスは感染しても、無症状の人が多いことが分かってきました。感染して重症化したのでは大変ですが、あまり高熱などの症状を出さず、多くの人が免疫だけを獲得することができれば、収束までの期間が短縮できそうです。

 重症化を防ぐには、ウイルスの量と発症や重症化とは相関することから、感染者との一定の距離をとって、受けるウイルスの量を減らすことが必要です。基礎疾患のある人や高齢者は、感染を避けることが大事ですが、それ以外の人は、外出自粛や休業要請の解除が行われても、適切な「対人距離」を保って生活し、無症状か軽い風症状くらいで免疫を獲得したいものです。
コラム-No.24
「韓国に学べ」の無責任なテレビ番組
 (令和2年5月6日)

 テレビ局のワイドショーなどで、武漢ウイルスの制圧に成功した韓国に学べとして、韓国の感染防止対策を紹介しています。ある番組が最初に紹介したのは、感染者の立ち寄った場所がスマートフォンに示される「感染者接触追跡」アプリケーション・ソフトウエア(アプリ)です。

 追跡アプリでは、ある感染者は、家を出てから何時何分にどのバスに乗って、どこそこのお店に行き、何時何分から何時何分迄滞在したなど、すべての行動が詳細に公表されます。これができれば感染リスクのある場所を避けることができます。しかし、この情報を政府が把握できるのは、感染者からスマホとクレジットカードを強制的に提出させることができるからです。

 中国も同様ですが、基本的人権は棚上げです。また、最近では、自宅隔離中に無断外出などを行った感染者には手首に、位置情報を送るGPS機能を持った電子リストバンドの装着をさせています。韓国の感染防止対策を紹介するのであれば、韓国ではプライバシーの保護は認められていないことをきちんと説明すべきです。

 わが国では、感染者に拒否されれば、追跡調査どころか、年齢や性別の公表すらもできません。また、自宅隔離の感染者が外出しても、何らの強制力もありません。国民の健康や命よりも、個人の人権が優先されています。

 朝日新聞や共産党などのように、どのような場合にも政府による私権の制限をすべきではないと主張する人々は、当然に、基本的人権を侵害する韓国や中国のやり方は許せないはずです。

 「韓国に学べ」という番組を作るテレビ局は、こうした基本的人権の制限に賛成するのでしょうか。このことを明らかにしないで、「韓国に学べ」というのは無責任です。

 政府が無策だと批判する立憲民主党の枝野幸男代表は、憲法を改正して緊急事態条項を設けなくても、災害対策基本法によって私権制限は可能だと表明しています。しかし、内閣総理大臣が災害緊急事態の布告を発したとしても、政府のできることは限定されています。もちろん、韓国や中国のやっているような広範な基本的人権を侵害する権力の行使は不可能です。

 憲法改正に反対だからといって、現行法でできもしないことを、できるように発言する枝野氏は無責任です。仮に、災害対策基本法を改正して、韓国のような基本的人権の侵害のようなことを政府ができるようにしたら、憲法違反だとの訴えが続出するでしょう。そもそも基本的人権を制限する災害対策基本法の改正案を国会に提出したら、国会周辺はデモや集会が繰り返されるでしょう。

 基本的人権の制限を政府が行うためには、憲法に緊急事態条項を明記することが、立憲主義の正道のはずです。各テレビ局も、緊急事態条項を憲法に明記することへの賛否の立場を明らかにすべきです。
コラム-No.23
日本語を破壊する専門家会議
 (令和2年5月5日)

 緊急事態宣言の延長を発表した5月4日の専門家会議の記者会見で、新たなカタカナ日本語が登場しました。「フィジカル・デイスタンス」です。従来使っていた「ソーシャル・ディスタンス」を「社会的距離」と訳すと、社会を分断するようだから、「フィジカル・デイスタンスとします」と専門会議の尾身茂副座長が説明しました。

 そもそも何故、社会的距離と訳したのでしょう。「社交的距離」と訳せばまだ意味が伝わりますし、社会を分断などと言挙げする必要もありません。日本語感覚が狂っています。しかし、「フィジカル・デイスタンス」は直訳すれば「身体的距離」です。これでは、さらに意味不明です。日本語としては意味不明な言葉が公的に使われれば、日本語が破壊されていきます。

 ソーシャル・ディスタンスもそうですが、どうして日本語を使おうとしないのでしょうか。「適切な対人距離」と言えば、誰にでも理解できます。一体、誰のための記者会見でしょうか。日本人に分かるように、日本語で説明する姿勢がまったく欠如しています。それを放置している政府・与党も同罪でしょう。

 専門家会議の中でどのような言葉を使おうと許されるでしょうが、それを誰にでも分かるように説明してこそ記者会見の意味があります。グラフにも意味不明の英語が書き込まれており、初めから、多くの国民に理解してもらおうという気がありません。

 その専門家会議が作った新しいカタカナ日本語をそのまま使うテレビや新聞なども、日本人としての言語感覚が麻痺しています。曖昧表現は日本語の特徴ですが、そのために論理的な表現力が乏しくなれば、世界に向けての政治や文化の発信力も弱くなります。日本語を磨き上げなければならない時代に、日本語破壊がどんどん進んでいます。緊急事態の今だからこそ、日本語を大切にしようと呼びかけざるを得ません。
コラム-No.22
部活動の見直しと中学総合体育大会の廃止
 (令和2年4月30日)

 武漢ウイルスの感染拡大防止のために、高校総体に次いで中学校総合体育大会の中止が決まりました。大会を目標に頑張っていた中学三年生にとっては残念でしょうが、こうした大会の必要性を含めて、部活動を見直す良い機会としたいものです。

 中学校、高校の学習指導要領に「学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるように留意すること」と数年前に明記されました。しかし、これは部活動の強化を学校に丸投げしただけで、法的にも制度的にも様々な問題点が未解決のままです。

 部活動の顧問になった教員は、平日は毎日6時半まで部活動の指導で、7時になってようやく教材研究や事務仕事を始めることができます。土日は練習か練習試合で夏休みもありません。教科活動、生活指導、部活指導、地域との連携などをすべてこなすには、超人的な教員でなければ困難です。

 ところが、働き方改革ということで、仕事は減らさずに、勤務時間を減らすことが求められています。一方で、部活動での指導も科学的な裏付けに基づき、けがや事故の防止の責任もありますから、研修も受けなければなりません。そして、全国大会があれば、誰しもが勝ちたいと思い、無理をしがちです。そのために、成長途中の中学生はけがをしやすくなります。

 中学校段階で、無理を重ねながら全国大会を開催する意味があるのでしょうか。勝利至上主義に陥りやすいのはかねてから指摘されています。スポーツや音楽で技量の向上を目標に練習することは大切ですが、地区大会で十分です。全国大会に参加するために、予選も含めて、保護者の経費負担も大きくなっています。そのため参加できない生徒もいます。

 一方、すでに全国レベルのトップアスリートや将来のプロを目指す場合には、学校の部活動ではなく民間のクラブに所属するのが普通になっています。こうした英才教育的な流れは強まるでしょう。もともと部活動は、教育課程外の学校の教育活動という変則的な位置づけになっています。従って、授業とは無関係のスポーツなどの部活動は地域のクラブ活動が担うようにすべきでしょう。

 学校の部活動は世界でもわが国だけです。教員の善意によって支えられてきた部活動も限界が見えています。きちんと各種目の指導方法を身に着けたプロの指導者やボランティアによって運営される地域のスポーツクラブに任せるなどの方向転換することが望ましいと思います。
コラム-No.21
悪意のこもった中國新聞の表現
 (令和2年4月20日)

 今年の9月から11月に広島県東部で開催予定だった「ひろしまトリエンナーレ202inBINGO」が、武漢ウイルスの感染拡大を理由に中止となりました。その経緯を「中國新聞」が4月16日に5段抜きの記事で掲載しましたが、客観報道を装った、相変わらずの左寄りの偏向記事となっています。

 記事では「反対意見1000件余り」の小見出しに続けて「『決裂』の契機は尾道市の離島で昨年10月から12月に開かれたプレイベント(著者訳:先行行事)だった。8月から10月にあった愛知県の『あいちトリエンナーレ2019』で議論を呼んだ作品が展示に含まれていたため、政治団体メンバーがJR尾道駅近くで集会を開き、広島県内には県内外から電話などで1千件余りの反対意見が寄せられた」と書いています。

 意味不明なのが「政治団体メンバー」という記述です。政治団体とは「政治目的の実現のために結成された団体や組織」(デジタル大辞泉)です。メンバーとは、構成員ということです。政治団体メンバーという記述から、中國新聞の読者の多くは、「自分たちの主義主張に固執する政治団体の人たちが集会を開いた」と受け止めるでしょう。

 しかし、この集会を開催したのは「(ひろしまトリエンナーレ)を考える会」です。愛知県と同様に、亡くなった昭和天皇や特攻隊員を冒涜するような作品展が、多額の税金を使って開催されることに疑問を持った人々が集まった市民団体です。

 もちろん、参加者には自民党の党員などのような「政治団体メンバー」もいるでしょう。しかし、共産党や立憲民主党の党員が主催する様々な集会の記事で「政治団体メンバー」と表現したのは見たことがありません。実質的に共産党などが主催する集会ですら「市民団体」と表現しています。

 「政治団体メンバー」という表現には、芸術祭を潰したのは「一部の芸術を理解しない偏狭な政治運動家」だという印象を与えようという悪意がこもっています。中國新聞が「悪意はない」というのであれば、今後は護憲派などのいろんな集会の記事にも「政治団体メンバー」という表現を使うはずですので、注視したいものです。
コラム-No.20
内部留保金を使って中小企業の統廃合を
 (令和2年4月19日)

 武漢ウイルスの出現で痛感したのは、人類は自然を征服することはできず、ただ自然の恵みに感謝し、その荒ぶる力と共存しなければならないことです。この思いは、多くの感染者や犠牲者を出しているヨーロッパでも共感されているようです。

 また、人との接触を絶たなければならない状況で、人は孤立しては生きていけず、他者と繋がってこそ生きることができると実感しています。社会あっての個人であり、各々が与えられた役目を果たすことによって、社会は成り立ち、個人の生存、生活も成り立っています。社会の安定こそは、個人の幸せの基盤です。

 ですから、現在の大きな危機を乗り越えるためには、社会を構成する全員が社会の安定を維持し、将来の発展のために、知恵や力(特に財力)を出し合って、一致団結して取り組むことが必要です。なかでも、優秀な人材を抱え、資力もある大手企業は、今こそ大きな社会貢献をすべきです。

 わが国の企業の内部留保は約460兆円に達し、そのうちすぐ使える現金が約200兆円と試算されています。このお金は企業の努力の賜物ですが、同時に社会のお陰です。この内部留保を効果的に使い、還元し、社会に恩返しすべき時です。

 その一つとして、産業構造の転換のための投資を行ってほしいものです。最近では、他国よりも優れた技術、熟練の技術者を持ちながら、競争入札で諸外国との競争に負ける事例が増えています。その原因は個々の技術は優秀でも、生産工程管理を含め、会計から流通、販売情報などを統合して一元化する統合基幹業務システムなどの導入で日本企業が遅れているからです。

 ITを使った標準化と同時に、自社の最先端技術や熟練技術のデジタル化を行い、それを非公開化(ブラックボックス化)することなどが急がれます。ドイツが先頭を走っていますが、中国へ進出しても、最先端の技術はブラックボックスの中ですから、技術流出がありません。

 経産省も標準化の必要性を指摘しています。「標準化と知財を組み合わせたオープン・クローズ戦略が不可欠に」とか「サプライチェーン全体を機器・製品レベルでネットワーク化し、設計・生産から小売・保守までの全体を効率化していく」などの取り組みを促しています。工場がストップしている今こそ、生産体制を見直し、世界の標準化の流れに対応した企業に生まれ変わるチャンスです。

 その見直しに不可欠なのが、中小企業の存在です。わが国の製造現場は「系列企業」「下請け企業」に依存した縦の関係で成り立っています。しかし、それが今や労働生産性の向上を阻害し、わが国の産業構造の脆弱性の原因となっています。

 約358万社の中小企業のうち中堅企業は約53万社で、小規模事業者は約305万社です。この小規模事業者の平均社員数は3.4人です。また、全企業の半分以上の企業が1億円の売り上げに達していません。従って、最先端技術はもちろんIT化やデジタル化などへの投資も不可能です。自ずと機械化も効率化も進まず、生産性が低くなります。

 人口減少が進むわが国では、労働生産性を高めることが必須です。そのためには優れた技術をデジタル化し、伝承するためにも、そうした中小企業を合併、統合化することが求められます。また、安い人件費で働く人々の肉体労働で支えられた産業構造では、これからの国際競争に勝つこともできません。

 この際、資力もある大手企業は、内部留保金を使って、産業構造の転換のために、優れた技術を持つ中小企業の買い取りや、その従業員を雇用して、統廃合を進めるべきです。また、従業員の命や健康を守ることが最優先ですから、下請けや系列企業で休業補償を可能にする資金援助などをして、まずは日本社会の安定に貢献してほしいものです。
コラム-No.19
表舞台から去りつつある「印鑑」
 (令和2年4月18日)

 感染拡大防止のために、人との接触を8割減らそうと、政府はテレワークの実施を呼びかけていますが、中小零細企業ではほとんど実施されていません。東京商工リサーチが4月8日に発表した「新型コロナウイルス感染症への対応に関するアンケート」の調査結果では、テレワークの実施率は従業員300人以上の企業が57.1%に対し、50人以上300人未満の企業は28.2%、50人未満の企業は14.4%でした。

 こうした状況を受けて、政府は感染拡大の防止のためにテレワークに取り組む中小企業への補助や助成を強めています。もともと中小企業には、IT化のための様々な助成金制度がありますし、業務改善や情報通信技術(ICT)の専門家を最大5回まで無償で派遣するなど、テレワーク導入に向けた支援制度もあります。武漢ウイルスの拡大が続けば、テレワークを実施する中小企業も増えそうです。

 しかし、テレワークを実施しているにもかかわらず、出社せざるを得ない業務があります。「押印」です。契約書は自宅で作成できますが、その契約書への「押印」のために多くの企業で誰かが出社しています。印鑑や手書きの署名に代えて、インターネット経由で契約書をやり取りするのが電子契約ですが、これを導入している企業は約4割と言われています。従って、出社を減らすためには、電子契約の導入の拡大も必要です。

 平成13年(2001)に「電子署名法」が施行され、「電子帳簿保存法」も平成27年に改正され、契約書や領収書は3万円未満という金額上限はなくなり、電子契約に関する法的環境が整備されています。電子署名やクラウドストレージ(オンラインでのデータ保管サービス)等の技術的開発も進んで、電子契約が導入されやすくなっています。今後、テレワークとともに急速に進むことが予想されます。

 こうなると、世界でもわが国だけという「印鑑」が徐々に消えていきそうです。すでに大手銀行では、口座開設でも印鑑が不要となっています。IT技術を導入して、金融と技術を融合させた新たなサービスが登場し、セキュリティの高い指紋などの生体認証などの導入が進み、金融機関での印鑑廃止の流れは加速しそうです。

 政府が取り組んでいる行政手続きのオンライン化、デジタル化を促進する上でも、印鑑廃止が不可避です。印鑑が不要になれば、家の中で印鑑を探す手間も省けます。しかし、印鑑は文化だということで、廃止は簡単ではありません。法人登記時の印鑑登録を任意化する法改正が昨年中に行われる予定でしたが、自民党の反対で目途が立っていません。印章業界がオンライン化の白紙撤回を求めているからです。

 しかし、印章制度の限界は明らかです。印章の複製は、昔から行われていますが、3Dプリンターの登場で極めて安価かつ簡単に印鑑複製ができます。印影による認証制度は安全性の観点からいえば、危険極まりません。さらにオンライン化を阻み、印鑑の存在が、わが国の労働生産性の向上を妨げていると言わざるを得ない状況です。

 そんな中、文具メーカーのシヤチハタ(本社・名古屋市)が、パソコンやスマホ上で文書に押印できる電子印鑑のサービスを無料提供しています。電子文書の稟議書や決裁書類、請求書などをネット上で回覧し、登録してある電子印鑑で押印すれば、決裁印をもらうために職場に出向く手間も省け、テレワークの促進につながります。シヤチハタでは、手持ちの印鑑を電子化したり、認印を新たに作ったりするサービスもあります。

 技術はどんどん進歩します。わが国では大宝律令(701年)の制定時に官印が導入されたようですが、武漢ウイルスによって、惜しまれながら消えていく時を迎えたのかもしれません。
コラム-No.18
決断力のある若い政治家への期待
 (令和2年4月16日)

 今回の武漢ウイルス対策で首長の指導力や統率力などの能力差が明らかになっています。感染拡大防止に積極的に取り組んだのは、大阪府の吉村洋文知事です。3月中旬から、府が司令塔になって府単位で、入院選別を行う入院フォローアップセンターを立ち上げました。重症者と軽症者を分けて、軽症者を閉鎖から復活させた病床や、宿泊施設への隔離などに取り組み、その為の緊急補正予算を組みました。

 3月20日からの三連休には、大阪兵庫間の不要不急の往来自粛要請を行いました。警察庁が運転免許証の3カ月間の有効期限延長の措置を発表した際にも、「3密」を避けるために郵送での手続きを認めました。また、自粛要請の効果を高めるために、5月6日までの期間限定で1000円以上の出前注文で、500円のポイント還元を上限なしで行っています。大阪市と協力して自粛要請した業者などへの補償策も明らかにしました。

 吉村知事の記者会見は時間無制限で行っており、府民への情報提供に率先して取り組んでいます。府民の命を守るための感染拡大防止には、知事としてできることは何でもやろうという姿勢が明確です。もちろん、責任をとる覚悟があるからこそ、先駆け政策を打ち出しています。

 国に先駆けて、自粛要請をした業者などへの補償を打ち出した首長もいます。御殿場市(静岡県)の若林祥平市長は密閉、密集、密接になりやすいバー、スナックなど市内200店舗を対象に、今月16日から30日までの休業を求めました。緊急事態宣言の首都圏からの流入を防止するためでもあり、その補償として、1店舗100万円を上限とした補償を行うことを発表しました。

 市川市(千葉県)の村越祐民市長は、県の休業要請に応じたり感染症拡大防止の取り組みを進めたりする中小企業や個人事業主を対象に、最大20万円の給付金を支給し、前年度の収入が500万円以下で、武漢ウイルスの影響で20%以上収入が減少する人を対象に、住民税に相当する額を支給する方針を発表しました。

 福岡市の高島宗一郎市長は、要請や依頼に応じて休業した市内の中小企業・小規模事業者の店舗賃料の8割(上限50万円)を補助するなどの緊急支援策を正式に発表しました。また、医療関係者を支援するため、市内の全医療機関に規模に応じて40万~600万円を支給するほか、新型コロナ感染者の入院を受け入れた場合は1人当たり30万円の給付や民間保育園や障害児福祉サービス事業者、高齢者・障害者施設にも、15万~150万円の特別給付金を出すという思い切った支援策です。

 国の財政的な支援が不明確な中で、自分の責任で、人々に安心を与え、感染拡大防止への協力を得るためとはいえ、前例のない支援策を打ち出すのは勇気と決断力が必要です。武漢ウイルス後の世界は、大きく変貌を遂げることが予想されています。前例踏襲の政治では時代に取り残され、わが国も衰退することになります。

 明治維新は若い志士たちが成し遂げましたが、今後の変化に対応するためには、強い信念と勇気を持った若い政治家が必要です。吉村知事が44歳、若林市長が48歳、村越市長が46歳、高島市長が45歳、さらに2月に緊急事態宣言を行った北海道の鈴木直道知事が39歳です。こうした政治家に期待したいものです。
コラム-No.17
財政よりも国民の命と生活の優先を
 (令和2年4月15日)

 非常事態宣言を受けて、東京都が営業の自粛を要請したのに対して、千葉県や神奈川県などの知事は財政的に大きな負担になることから、当初、自粛要請はしないと表明していました。確かに財政に余裕のある東京都と違って、補償金の意味合いのある協力金などを支給する余裕が他の府県にはないのは分かります。

 しかし、戦後最悪の状況の中で、まずは府県民の命を守ることを最優先とすれば、東京都とは財政事情が違うから「自粛要請しません」という発言にはならないでしょう。「県民の命と健康を守るために、できるだけ自粛要請をしたいと思います。そのために財政面を含めて検討し、政府とも交渉したい」と言ってほしかったと思います。

 結局、すべての府県が自粛要請に踏み切りましたが、「財政」の話が先に来るのはお役人主導だからでしょう。前例を踏襲するお役人は平時には強いのですが、戦争にも匹敵する危機で、次々と県民の命が失われるという非常事態を前に、前例のない危機管理能力を持った人は少数でしょう。失った命は取り戻せませんが、財政はどうにかなります。知事には、危機における強い指導力や統率力を発揮してほしかったと思います。

 これは安倍政権にも言えると思います。緊急事態宣言の発令について、約7割の国民が「遅かった」と評価していますが、対策が後手後手に回っています。さらには、国民の命と生活を守るために政府の最大限の力を発揮しているとは言えず、今回の緊急経済対策も内容、量ともに不十分です。

 今年度の成長率はマイナス5%を超え、GDPは10~20%程度の下落が予想されています。100兆円前後のGDPが失われるとすれば、緊急経済対策も100兆円ぐらいが必要です。今回は事業規模で108兆円ですが、GDPに直接計上される真水部分は16兆円余りと言われていますから、明らかに不足しています。

 この程度では、落ち込んだGDPを回復するのに10年以上かかってしまいます。米国の緊急経済対策は230兆円規模です。しかもトランプ大統領は、大人一人1,200ドル、子供一人500ドルの給付に続いて、2回目の給付の検討を発表しました。政府は、国民を安心させるための具体的な分かりやすい政策を示すべきです。

 また、医療現場はまさに危機的状況です。人員も装備も不足しています。この医療現場支援に人員と資材を集中することが最優先事項です。自衛隊の災害派遣はもちろんですが、退職や離職している医療関係者の期限付き雇用なども必要でしょう。政府にはありとあらゆる手立てを講じてほしいものです。
コラム-No.16
国民への迅速な給付を不可能にしたのは誰だ
 (令和2年4月13日)

 新型コロナウイルスの感染拡大による、戦後最悪の状況に苦しむ国民の命と生活を守り、そして経済を再生するために緊急経済対策が発表されました。その中には、事業継続に困っている中小・小規模事業者等への支援のための給付金や、生活に困っている世帯に対して生活維持のために必要な資金を迅速に交付する給付金制度が創設されます。

 金額についても様々な意見がありますが、最大の問題は実際に国民の手に届くまでに時間がかかることです。ドイツではオンライン申請後、わずか2日くらいで給付されると聞いています。ところが、わが国ではなんとか5月中に給付を開始したいと政府関係者は言っています。もうすでに収入の大幅減で家賃や公共料金も払えない人が増えているのですから、もっと短くしたいものです。

 給付金の支給が遅くなるのは、わが国では、個人データのデジタル化、集約化が遅れているとともに、公的機関間での情報の共有化のための制度化が遅れているからです。個人事業者や生活に困っている人に給付するには、個人の所得水準を把握する必要があります。英米では税と社会保障などの個人情報が集約化されています。だから収入を証明する書類は不要です。

 例えば、英国ではフリーランスや個人事業主で、過去3年間の平均値年収が5万ポンド(約650万円)以下の人に、所得の8割にあたる額を、月2万5千ポンド(約33万円)を上限に、3カ月分支給する制度がスタートしました。日本の国税庁にあたる歳入関税庁が納税データから該当者を抽出し、給付案内をします。申請書を返送すれば、直ちに銀行口座に直接振り込まれます。

 わが国では個人の税情報を税務当局以外が閲覧するためには個人の同意が必要とされていますから、現状では給付事業に納税データを利用することができません。給付を希望する人が市町村の窓口に行って、収入証明書などを添付して申請しなければなりません。それから一人ひとり審査をするので時間がかかります。

 もっともわが国でも、デジタル社会に対応して国民生活の利便性向上などのために、一つの個人番号に、すべての所得や納税額、社会保障関係のデータをリアルタイムで蓄積することを目指したマイナンバー制度が平成28年に始まっています。このマイナンバーに納税データが関連付けられ、銀行口座が登録してあれば、国民は瞬時に給付金を受け取ることができます。残念ながら、データの一元化はなかなか進まず、カードを取得している人は15%未満です。

 マイナンバー制度が進展しないのは、何といっても「個人の監視に繋がる」とか「プライバシーを侵害する」などの理由で、一部の学者や共産党、朝日新聞などのメディアが反対したためです。行政を効率化し、IT技術を発展させるマイナンバー制度に反対している学者や新聞社、テレビ局などは、今回の給付が遅いと批判する資格はないでしょう。政府にもこの際、セキュリティの強化と、行政のデジタル化推進の一環として、マイナンバーカードの利用拡大による、国民の利便性を高める取り組みを求めたいと思います。
コラム-No.15
「武漢ウイルス」の通称名使用の勧め
 (令和2年4月10日)

 弊社では、新型コロナウイルスの名称を「COVID−19」ではなく、「武漢ウイルス」と表記しています。その理由は、ウイルスとの戦いの中で、発生源が分かることが大事だと考えるからです。また、学術的にはCOVID−19でいいでしょうが、一般人にとっては一つの出来事とともに記憶される武漢ウイルスの方が分かりやすいと思います。

 これまで発見されたウイルスの名称も地名が付けられています。例えば、エボラ出血熱の「エボラ」はコンゴ民主共和国の川の名前ですし、クリミア・コンゴ出血熱の「クリミア・コンゴ」はクリミア半島で始まり、その後ベルギー領コンゴ(当時)でウイルスが確認されたことによります。ラッサ熱の「ラッサ」はナイジェリアの村の名前ですし、マールブルグ熱の「マールブルグ」はドイツ・ヘッセン州のきれいな大学都市の名前です。ですから、今回の新型コロナウイルスも、「武漢ウイルス」を通称名とすることを推奨します。

 実際、「武漢ウイルス」の名称は、当初、中国の国営通信社である新華社通信も使っていました。共産党の機関紙『人民日報』系列の『環球時報』も複数回にわたって使用していました。いわば、中国共産党公認の名称だったのですが、今では使用すると強く抗議されますが……。

 中国外務省の報道官が「この感染症は、アメリカ軍が武漢に持ち込んだものかもしれない」とツイッターに投稿したように、中国としては発生源を中国以外にして、被害者になろうと世論操作をしています。

 昨年の12月には、武漢で原因不明の肺炎患者が出ていたことは明らかです。この事実を知らせ、医療関係者に警告をした医師を罰して、黙らせ、記事を書いた記者を投獄するなどして、「武漢ウイルス」の発生を隠したために、世界中に感染が拡大し、多くの死者が出ました。

 中国政府は「世界は中国に感謝すべきだ」などと臆面もなく、珍妙な宣伝、工作活動を行っています。お人好しの日本人はすぐにこうした宣伝工作に騙されてしまいます。そうした真実の隠ぺいを許さないためにも、「武漢ウイルス」の通称名使用を広げたいものです。
コラム-No.14 漁業者の生活を豊かにするには (平成25年4月15日)

 宮城県の村井嘉浩知事が、10日、宮城県漁協の反対を押し切って、漁業への民間企業参入を促す「水産業復興特区」の認定を復興庁に申請しました。漁業権は、地元漁協に優先的に与えられると漁業法で規定されていますが、復興特区法で、牡蠣や海苔などの養殖を営む「特定区画漁業権」は「地元漁業者の7割以上を含む法人」と「地元漁業者7人以上で構成される法人」にも、知事が漁協と同様に漁業権を与えることができるようになりました。

 今回申請した特区の対象は、宮城県石巻市桃浦地区です。この地区の牡蠣養殖業者15人が「桃浦かき生産者合同会社」を設立し、仙台市の大手水産卸「仙台水産」が出資しています。牡蠣の養殖から加工、販売まで手掛けて、生産額を平成28年度までに従来の1・5倍の3億円にまで伸ばすと共に、40人の雇用増を目指しています。桃浦の業者は、震災前には生食のむき身の牡蠣だけを扱っていましたが、特区が認められれば、加工品などを開発したり、出荷時期を自由に調整したり、弾力的な事業運営ができるようになります。

 これまでの養殖漁業は、漁協が生産物を集めて、共同販売(入札)を行っていました。生産者である漁業者は生産物を漁協に出荷して終わりでした。流通業者は、漁協が並べたものに値段をつけて購入しますが、当然できるだけ安い値をつけようとします。言い換えれば、漁協をはさんで生産者と流通業者・消費市場が分断されていました。消費者の求めているものを供給するのではありませんから、生産者の収入は増えません。生産者が品質の良いものをと努力しても、共同販売であれば評価はされず、努力に見合う対価も得られません。

 儲かる漁業にするためには、消費者が求めているものを供給することです。今の日本の漁業は獲れるだけ獲って、一斉に魚市場に出すので、価格は下がります。しかも、資源を枯渇させてしまいます。漁業の先進的な国では、市場の需要を見ながら漁獲量や出荷量を調整しています。脂ののった消費者の好む大きさに育った魚だけを獲りますから資源保護にもつながります。

 養殖漁業においても、農業と一緒で、生産するだけではなく、市場の動向を見ながら出荷量を決め、また加工したりして付加価値をつけることにより、利益を上げることができます。本来であれば、こうしたことを主導するのが漁協のはずですが、残念ながら漁業権の上に胡坐をかいている状態です。

 県漁協は「特区導入は浜を分断し、混乱させ、復興の妨げになる。県は説明責任を果たしておらず、憤りを覚える」と述べています。しかし、この特区構想は震災後しばらくして出てきた構想であり、県は各地で説明会を開催しています。漁業が衰退を続けており、その責任は漁協にもあります。儲かる漁業へ転換するための具体策を示さず、反対のための反対をするのは無責任です。

 既得権益を守ることしか頭にないような漁協に失望しています。おいしい水産物を国民に提供すれば、漁業者の生活も豊かにすることができますし、それが海の利用を独占的に許されている漁協の責任でしょう。特区に反対するのなら、それに代わる政策を示して、その責任を果たしてほしいものです。

 海は自分たちのものと思っているようですが、国民の共有財産です。それを使わせてもらっているという感謝の心を持つべきでしょう。そうすれば限りある漁業資源の有効利用にも努力する一方で、獲れるだけ獲るという漁業からの脱皮をし、漁業者の生活が豊かになるように工夫するはずです。すでに、海外では多くの成功例があります。政府は速やかに特区を認めてほしいものです。
コラム-No.13 政府は実証的な歴史研究に着手せよ (平成25年3月22日)

 安倍首相は、いわゆる『慰安婦問題』に関する新しい政府談話を、戦後70年の節目にあたる2015年に発表する事を目指す考えを、先ごろ発売された韓国誌「月刊朝鮮」のインタビューの中で語ったそうです。これに対して「事実上の見直し延期だ。断念だ」との批判がされています。安倍首相は政権発足当初から、慰安婦問題などの歴史認識を政治問題化しないと語っていますから、どうして「事実上の見直し断念だ」と批判されるのか私には理解できません。はっきりしていることは、歴史認識問題は困難な国際政治の問題だということです。

 歴史は勝者の立場から作られ、勝者が正義を遂行し、敗者が悪者として語られ、流布されます。結果として、勝者の立場を正当化するために、多くの事実の歪曲が行われるのが人間世界の常です。近代史は欧米を中心として、とりわけ20世紀以降はアメリカを中心として物語が作られています。アメリカを正当化するために、語られない事実や歪められた事実が多くあります。

 アメリカが行った原爆投下をはじめ、市民の殺戮を目的とした無差別爆撃などの戦争犯罪を正当化するためには、わが国が非人道的な残虐な国家でなければなりません。南京事件や慰安婦問題はその正当化を支える大事な柱です。南京事件は中国、慰安婦問題は韓国との2国間のみの問題ではなく、米国との問題でもあります。わが国がこの歪曲された事実を正すための行為は、東京裁判を否定し、アメリカの正当性を否定することになります。米国がわが国との同盟関係にあるとはいえ、これを受け入れるには、日米の戦争の生々しい傷が薄まるだけの時間の推移が必要でしょう。

 世界は多極化が進んでいるといえども、アメリカは依然として覇者であり、アメリカ中心史観、とりわけ第二次世界大戦の勝者を貶めることになるような歴史の書き換えは現時点では容易ではないと思います。しかし、歪曲された歴史の是正を求めることは当然です。事実と反する歴史が語られることを放置し、国家、民族の名誉を棄損することを黙認するのは国家、国民の怠慢です。名誉回復のためにも、教訓を学ぶ意味でも、事実を検証する作業は国家の責任です。そのために政府の手で、自国の公文書や関係文書などの資料を収集、整理しなければなりません。

 さらには、外国の資料も収集、整理することが必要であり、専門家に調査を委託することが必要です。収集整理した関係資料を、英語はもとより、中国語、韓国語などにも翻訳し、世界から自由にアクセスできるような環境整備も不可欠です。情報発信能力を高めることも、わが国の課題の一つですので、『近代史検証』を是非、速やかに政府主導で着手してほしいと思います。
コラム-No.12 武道を嫌いにするな (平成25年1月31日)

 ロンドン五輪代表を含む女子柔道選手15人が、強化指導陣から暴力行為を受けたと告発された問題は、大阪市立桜宮高校の問題とも合わせ、わが国のスポーツ界に大きな転換を求めていると思います。体罰を全面的に否定するつもりはありませんが、あまりにも指導の仕方が拙劣な指導者が多いのも事実です。勝利至上主義にとらわれて、指導陣自らが指導力向上への真摯な努力、自己の人格練磨が欠落しているように感じます。

 スポーツにおいて、と言うよりも何事にもおいても、技術、体力、精神力が必要です。それらの向上のために厳しい練習や訓練をします。技術や体力の鍛錬にはそれぞれの選手に合わせて、合理的な指導が求められます。技術のコツを掴むためには、合理的な説明で理解させ、繰り返し練習し、また弱い部分の筋力は重点的に鍛えることになるでしょう。

 難しいのは精神力の鍛錬でしょう。精神力がすべての基礎になります。闘争心の強さが、100%以上の力を引き出すこともあります。その闘争心の源が怒りであることもあるでしょう。しかし、一方で冷静さを失えば、筋肉も硬直し、勝利から遠ざかることが多いのが現実です。

 最後まであきらめない粘り強さなどの強靭な精神力はどうすれば得られるでしょうか。答えは一つではないと思います。個々人の性格が違うように、その指導方法も異なるはずです。「人を見て法を説け」という言葉の通りです。

 「死ね」「代表から外すぞ」などの言葉や、胸や頭を小突いたり、竹刀で叩いたりすることで、技術や体力は鍛えられませんから、精神力の鍛錬になると思っているのでしょうか。それを受容する以外に選択肢がない時代には、一定の効果があったかもしれません。しかし、現在では、それが指導者の怒りに任せての言動や、指導力の未熟さから出たものであれば、逆効果です。

 柔道界の日本代表チームの指導者が依然としてこうした指導を容認していることこそ、お家芸である柔道の衰退を象徴していると思います。ロンドン五輪での女子柔道は、金メダルが一つに終わりました。男子はゼロでした。その分析もないまま、女子の監督は続投が決まりました。ある意味では、相撲協会と同じように、指導方法や指導力の検討もなく、人間関係で指導陣が決まっているのではないかと危惧してしまいます。

 それよりも懸念するのは、学校などでの柔道の指導者が、暴力や暴言をもって指導することを当然と考えていることです。幼年期から、柔道のみならず、剣道などの武道を好きで始めた子供たちが、嫌いになって止めると、根性がないなどとその子供の責任とされてきました。しかし、指導方法に問題はなかったのでしょうか。ピアノや英会話の指導で暴力や暴言を使う指導者はいないはずです。できない子供を、能力に応じて、できるようにしてやるのが指導者の能力です。学校教育においては特にそれが望まれます。それぞれのスポーツを経験し優秀な成績を残してきただけで、指導者になれる時代に終止符を打つべきです。指導者になるための知識の習得と指導方法の訓練が必要だと思います。今回の事件を、武道の素晴らしさをわが子孫に伝えていくとともに、世界に発信していくための好機に転換して欲しいものです。
コラム-No.11 競争なくして活力なし (平成25年1月9日)

 安倍政権の経済政策であるアベノミックスへの期待が高まる一方で、朝日新聞をはじめとする、イデオロギー的に反安倍、嫌安倍派の連中がケチをつけ始めました。アベノミックスにリスクがあるのは当然です。リスクを冒さずに、大きな利益を得ることはできないのは、この世の摂理です。競争のないところに、活力はありません。不公平も格差も拡大するでしょう。

 しかし、今のままで縮こまって、全国民貧窮化の道を歩むのをよしとするのでしょうか。それとも活力ある社会、若者が希望の持てる社会を取り戻すのかという二者択一です。選択肢は明らかでしょう。アベノミックスでやると政府が決めた以上、その政策に沿って国民が頑張る以外に豊かな社会は訪れません。もちろん様々な弊害や歪みをできるだけ小さくするように政策をチエックすることが必要です。それが朝日などメディアの仕事のはずです。

 2%のインフレに成功すれば物価が上がりますが、給与はすぐに増えません。平均すれば2%というインフレは、庶民には日常生活の必需品はもっと上がったという実感に襲われるでしょう。「日銀がもっともっとお金をばらまけば、景気が良くなる」と主張している楽観的立場の森永卓郎・獨協大学教授だって、「三年くらいたてば、給与が上がるでしょう」と言っているくらいですから、しばらく辛抱するのはやむを得ません。

 今日のTBSの「朝ズバッ!」で、みのもんた氏が、「インフレで物価が上がれば、仕入れ値が上がり、中小零細企業は苦しくなる。大企業が儲けて、納得いかないな」と批判的な発言をしていました。しかし、お金だって上から下へしか流れません。大企業が儲けて、中小零細への仕事が増えなければ、中小零細の懐が潤うことはありません。中小、零細が大企業と同時に、あるいは大企業より先に儲かるとは考えられません。原子力発電を廃止しろという司会者としてはふさわしくない発言もあり、引退をしてほしいものです。

 活力とは競争です。競争のない社会は停滞や衰退があるのみです。競争に参加せず、マイペースで仕事をしたければ、それなりの収入しか得られません。人並み以上に努力せずして人並み以上の収入を得ることはできない、これが自然の法則であることを、戦後の日本人はどこかへ置いてきてしまったようです。
コラム-No.10 理解不能の朝日新聞の記事 (平成25年1月3日)

 新しい年を迎える度に、憲法改正への歩みを確かなものとしてほしいと夢見てきました。今年こそ、この初夢が安倍政権の誕生で実現しそうです。それで慌てているのが朝日新聞でしょう。その表れが、1月3日の記事にも見てとれます。日本憲法の草案作りに直接携わった米国人ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日に死去されたのを5面の肩の記事で報じると共に、天声人語でも取り上げています。朝日が大きく取り上げた意図は「改憲の動きに警鐘」という見出しにしっかり表れています。

 天声人語の書き出しは「『日本国憲法は押し付けられた』『いや、そうではない』と戦後68年の今も論議は続く。その憲法草案づくりに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、いつもこう語った。『日本の憲法はアメリカよりすばらしい』。そして憲法が日々の暮らしに根を張ることを願ってきた」となっています。

 天声人語の記事の中には「押しつけ」か「否か」の直接の回答はなくて、5面の記事で触れられています。「彼女の存在自体が、『憲法は押し付けられた』という言説への反証だった。『草案者たちは、民主主義社会の実現を目指しながらも、日本の文化や懸念にも非常に敏感でした。日本側の発言によって、草案が変わった部分もあります』と指摘していた」としています。

 「反証だった」ということは、朝日新聞は「押し付け憲法」を否定しているのは明らかでしょう。しかし、彼女の「日本側の発言によって、草案が変わった部分もあります」との指摘は、言い換えれば「日本側の発言にもかかわらず、草案が変わらなかった部分もある」ということです。普通の日本語の解釈では、「一部は日本側の主張が受け入れられましたよ」と彼女は言っているだけです。何故、「彼女の存在自体が」押し付けでないことを証明しているのかが理解できません。彼女が自己の理想を盛り込んだことを語っているのですから、むしろ彼女の存在自体が押し付けであることの証拠だと思うのが普通の解釈ではないでしょうか。

 「押し付け」の反対は「自主」だと思うのですが、朝日新聞は日本国憲法を「自主憲法」だと考えているのでしょうか。草案段階から政府レベルで議論し、国会で制定したのであれば、自主憲法でしょうが、政府の草案を否定され、占領軍司令部の草案を示された段階で、とても自主憲法とは言えないでしょう。

 その象徴が憲法9条です。1項、2項とも、日本側の主張で文章が加えられて変更されたことはよく知られています。しかし、「軍隊を保持することを許さない」という占領軍司令部の基本方針は議論の余地はありませんでした。その結果、憲法9条2項の後段は「国の交戦権は、これを認めない」となっています。ところが、交戦権という言葉は、占領軍司令部で憲法を起草したチャールズ・ケイディス氏も指摘しているように、意味不明です。わが国の憲法学会でも未だに解釈は分かれています。押し付け憲法のなせる業です。

 憲法改正への大きなうねりを阻止したい朝日の焦りが、こうした理解不能な記事になったのだと思います。
コラム-No.9 中日新聞の宣戦布告!? (平成24年12月27日)

 人品の尊卑は、その人の言動を見れば分かると言います。とりわけ、嫌いな人を批判する言葉に現れやすいので気を付けたいものです。12月27日付けの中日新聞には、その品位を疑わせる言葉が躍(おど)っている記事が掲載されています。「安倍内閣を名付けるなら」との見出しで列挙しているのが、「まぐれ敗者復活」「極右はしゃぎすぎ」「国防軍オタク」「厚化粧」「逆戻り」などと、世間一般では「罵詈雑言」の部類に入る表現です。

 公の場で人を評する時に、本人に面と向かって言えない言葉は、本人がいない場でも言うべきではないと教えられました。中日新聞の総理担当記者は、この記事を堂々と安倍総理本人に見せることができるのでしょうか。それとも中日新聞社の編集長は、政治家はどんな言葉で批判されても甘受すべきだと思っているのでしょうか。

 中日新聞が安倍総理を嫌いなのは一目瞭然です。これほどあからさまなのも珍しいくらいです。一般紙とスポーツ紙を比べれば、少なくとも一般紙の方が、使用する言葉や表現において、品位が保たれています。しかし、この記事は感情が露骨に表れています。批判するにも、礼儀があり、作法があるはずですが、何らの抑制もありません。

 総選挙で国民から政治を付託された衆議院議員の多数が選んだ、就任したばかりの総理大臣に対して、何らの敬意も節度もありません。これは自民党に投票した人ばかりではなく、国民に対する侮蔑です。ということは、中日新聞は天に唾しているに等しいと思います。

 わが国の政治報道は政策の是非や調査報道ではなく、誰と誰がどこで会ったとか、誰が誰を批判したとか、いわゆる政局報道が主体で、欧米と比べても水準が低いと言われます。今回の中日新聞の記事は、記事の質ばかりか、新聞社の品位まで下げてしまいました。もちろん、これは日本人全体の品位の劣化を示しているのでしょうから、他人事とは思わず自ら心すべきことと自戒しています。

 一方で、この記事は中日新聞が行った安倍内閣に対する宣戦布告と読むべきなのかもしれないなと思っています。
コラム-No.8 思考停止するな (平成24年11月28日)

 “卒”原発を掲げた未来の党が旗揚げをした。どうやら日本人の多くが原子力発電に関して思考停止に陥っているようだ。原子力問題はエネルギー問題の一分野であり、エネルギー問題は国家の安全保障に関わる重要な分野であるが、景気雇用対策、財政再建、年金問題そして国防と外交、あるいは教育など、政治の課題は多岐にわたっている。 “反”原子力だけで「この指とまれ」と呼びかけた党に、政策協議もなく参加を表明する議員が多いのには驚いてしまう。本当は政権獲得など目指しておらず、無責任で、気楽な“批評家”で、高給与が保証された国会議員が希望なのかと思ってしまう。

 わが国の置かれた厳しい状況を理解すれば、自己の能力に大きな自信がなければ政治家は目指せない。安全保障や外交問題は言うまでもなく、分かっているつもりの教育や医療においても、多くは一部分であり、一面的だ。全体的な問題点を的確に理解し、整合性のある教育制度や医療制度を政策に立案するのは、猛勉強が必要だ。それぞれの専門家の講義を聴き、関連書物を読み、現場を見て、意見交換をし、議員と討論をする。これらの努力をしなければ官僚との議論はできず、言いなりになるだけだ。どれだけの候補者がそうした厳しい自己研鑽をする覚悟をしているのだろうか。

 原子力発電を廃棄すればエネルギー問題が決着したかのように思わせる政治家もマスメディアも無責任だ。北海道が昨日から、冬の嵐に襲われ、停電で、自宅を出て避難せざるを得なくなっている。北海道電力などが復旧に全力を挙げているが、これは経営に余裕があるからこそ経費を惜しまず、人員を投入できる。発送電の分離を行うというが、送電を担う企業は、今と違って、経営余力が少なくなるのは必至だ。そうなれば復旧の速度は、多くの外国並みに遅くならざるを得ない。電気料金が倍になり、災害の際にはすぐには復旧しないという状況も覚悟が必要だが、そんな話は闇の中だ。

 原子力政策が重要でないとは言わないが、もっと重要で困難な問題が山積している。強い指導力、実行力を持って、時機を逸せず、果敢に断行する、それが今のトップリーダーに求められている。陰や裏で、古狸のボスが暗躍する国会にだけはしたくないものだ。
コラム-No.7 中国共産党が戦いを仕掛けてきた (平成24年11月15日)

 中国共産党の第18回党大会が14日に閉幕したが、今日、中央委員会第1回全体会議が開催され、注目の人事が発表される。習近平が党総書記になることは間違いないようだが、誰がトップになろうとも、日中間の緊張状態は当分続く。今後の焦点は、南京陥落75周年の12月13日に中国共産党がどうでるかだ。中国がでっちあげた30万人の虐殺という南京事件、国際社会でわが国を誹謗する道具であるだけに、世界中でデモを行い、尖閣とからめての宣伝工作も予想される。これに負けずに、南京事件を歴史年表から消すためにも、わが国から世界へ発信していかなければならない。

 党大会が閉幕した14日に、「『南京裁判』展転社を支援する報告決起集会」が都内で開催され、日本を守り、言論の自由を守ろうと、伊藤哲夫、宮崎正弘、水島聡、藤岡信勝各氏などが呼びかけを行った。この裁判は、南京事件で様々な証言を行った夏淑琴氏が、彼女の証言の矛盾点を指摘した書籍の著者と出版社を、「精神的苦痛」を与えられたと南京の人民法院に訴え、人民法院は欠席裁判で賠償を命じる判決を得て、今回、その判決の執行を東京地裁に求めたもの。

 仮に、こんな執行が認められれば、中国批判の書籍を出した日本人や出版社は次々と中国の裁判所に損害賠償請求の訴訟を提起される。当然、中国まで行って応訴するなんてことは経費上も考えられないし、そもそも中国には裁判の独立もないのだから、敗訴するのは分かっている。本紙にも、かつて、黄門様のいない中国社会という記事を書いたが、行政、軍はもちろん、司法も共産党の下にある。共産党の幹部はどんな悪事を働いても、権力闘争に敗れない限り、罰せられることはない。中国では、どんな判決も共産党の方針に従わざるを得ないのである。そもそも、大学どころか、中学を出たのかどうかも分からない人間が裁判官になる社会だ。

 当然、今回の東京地裁への提訴も共産党の承認を得ている。この裁判は、中国共産党が日本国内での中国批判を封じることが目的である。言論の自由の封殺だ。国際社会では相互主義が原則だが、日本で中国在住の中国人を訴えて、損害賠償の判決を得ても、中国の裁判所がその執行を認めるはずがない。従って、相互主義に立つ限り、今回の提訴が認められるはずがない。しかし、これまでも、南京事件や百人斬り事件など、中国がらみの裁判では、信じられない判決が出ている。歴史や中国人を知らない無知で偏向している裁判官が多いだけに、決して油断はできない。仮に、日本の司法がこの執行を認めるような判決を行えば、憲法が保障した言論の自由を裁判所自体が侵害することになる。

 この裁判は、単なる個人や一出版社の問題ではない。中国共産党がわが国の言論の自由を封殺するために仕掛けてきた戦いである。この裁判を大いに支援していきたい。
コラム-No.6 民主主義って何でしょう?! (平成24年11月7日)

 今朝のワイドショウを見ていたら、茨城県のかすみがうら市で国家公務員よりも7%程度高いと言われる当市の職員給与の削減を求めた市長の提案を否決した議長が、その理由として、「組合との話し合いがついておらず、民主主義に反する」と述べたのには思わず笑ってしまった。議長はその他の理由も述べたのだろうが、給与削減案を否決するのに、民主主義を持ち出すのは、民主主義の根幹である議会の役割を理解していないか、軽く見ているようだ。

 かすみがうら市は平成17年に霞ヶ浦町と千代田町が合併して誕生した。どうやら合併に際しては、両町の建設業者などの既得権益を壊さないように棲み分けが行われたようで、本庁機能も二分し、談合などの仕切り役も旧来のままで、合併による行財政の効率向上や住民の利便性向上にはつながっていないとの指摘があった。

 そんな中で初代市長が汚職で逮捕された。官製談合と業界談合の縄張りを巡る業者の賄賂メモが外部に流出したことで、暗部の実態が明るみに出た。市長の辞職に伴う市長選が平成18年に行われたが、利権調整が行われたのか、2代目の市長は無投票で当選した。その市長が議員報酬を4割アップする条例を提案し、可決された。

 合併の際の密約とも言われたことから、さすがに住民は怒った。「かすみがうら市を元気にする会」が結成され、条例制定の署名活動を開始したのである。集まった署名数は有権者数の3分1を上回った。これに慌てた議会は、報酬を元に戻す条例改正を行った。元気にする会は、それ以後も市政刷新の運動を続けた。

 そして平成22年の市長選で誕生したのが、元気にする会の事務局長だった現市長だ。僅差の当選で、議会は16名の議員のうち、反市長派が11名。誰もが予想していたように、市長が提案した議案のうち、職員の給与削減など市長の公約の多くの議案が否決されている。今年6月の議会で従来の削減幅を半減した、5回目の給与削減案を提案したものの否決されたことから、議会解散を請求するリコール運動を行ったが、必要な署名約12000に、670ほど不足した。

 こうした背景で、議長の発言がある。民主主義とは無縁の、市政を巡るどろどろした権力闘争があるのは明らかだ。何よりも、労使が当事者同士で話し合いがつかなければ、市民の代表者である議員が、適切な賃金水準について議会で開かれた議論をするのが民主主義だ。自分たちの行動を正当化するために、民主主義という言葉でごまかすのは止めて、自己の責任を痛感してほしい。もちろんこれはかすみがうら市だけの問題ではない。
コラム-No.5 朝日に対して沈黙を続ける部落解放同盟 (平成24年10月28日)

 橋下・大阪市長の出自を取り上げた「週刊朝日」の記事は、同和問題に取り組んできた弊紙としては信じられない内容で、部落差別を取り上げた島崎藤村の小説「破戒」を思い出した。「橋下徹のDNAをさかのぼり、本性をあぶりだす」として、橋下氏が被差別部落の出身だから、人間性が卑しいと決めつけている。被差別部落の人の血は穢れているという何の根拠もない、非科学的な差別観がこの記事の根底にあり、絶対に許されないことだ。

 DNAを問題視するということは、あたかも遺伝的に問題があるかのように取り上げ、その上で、被差別部落を「八尾市○○地区」と特定することも、これまでの部落差別解消の取り組みに逆行している。また、やくざに被差別部落の出身者が多かったことも事実であるが、そのことや父親の行状と橋下氏は何の関係もないし、むしろ苦学して司法試験に受かったことを褒めるべきだろう。

 これまで朝日新聞社は差別を批判し、人権尊重を掲げ、一貫して差別される側に立っていたはずだが、今回の記事でそれが単なる権力批判の手段であったことが判明した。福島の原電事故でも、朝日出版発行の「週刊アエラ」は「普通の子供産めますか~福島の子供たちへの手紙」という記事は、放射線を浴びた福島の女性は子供を産んではいけないとほのめかしている。

「普通の子供」という表現自体にも問題があるが、今回の福島の放射線量では遺伝的には何の心配もない。広島、長崎でも被曝2世に遺伝的障害は認められておらず、まさに非科学的で悪質なデマである。チェルノブイルでは、多くの女性が必要もない堕胎を行うという悲劇があったが、アエラの記事はそうした悲劇を招きかねない。また多くの女性に不安を与え、あるいは福島の女性に対する差部をまねきかねない恐るべき記事だ。

 これほどまでに人権否定の差別的記事を掲載した朝日のこれからの対応が注目されるが、それ以上に注目すべきは部落解放同盟の言動だ。部落解放同盟がこれまで主張してきた「根深い差別意識」の存在が実証されたわけだから、全国的に激烈な抗議行動が起こって当然だ。今日現在、この記事が掲載されたにもかかわらず、部落解放同盟の発言や行動がどこにも見当たらない。

 落書きが発見されただけで、市役所や企業のトップをはじめ、管理職を全員集めて、謝罪と反省、今後の対策を明らかにする糾弾会が行われている。週刊朝日の編集長、社長は当然として、親会社の朝日新聞社の社長以下重役陣が全員出席する糾弾会が開催されることが予想される。また、直ちに、記者や管理職全員を対象とした人権の研修会の開催を要求するはずだ。

 許されない差別事件が起こったにもかかわらず、今日現在、沈黙を続ける部落解放同盟を注目せざるを得ない。部落解放同盟は差別解消のための糾弾会を権利とし、正当性を主張しているのだから、是非とも朝日の糾弾会は公開してもらいたい。
コラム-No.4 シェールガスは本当に期待できるの? (平成24年10月22日)

 NHKは「シェールガス革命」と題した番組の放映や、ニュース番組の中で度々シェールガスを取り上げているが、「世界のエネルギー地図を塗り替えるかもしれないと脚光を浴びてます」と紹介があるように、大きな期待を持たせる内容となっている。これらの番組を見て「日本の原子力発電の時代は完全に終わったと確信した」とか、「これからはシェールガスの時代だ」と思った人も少なくないようだ。「革命」と称されたもので、いい結果が長続きしたことはないのが歴史的事実だけに、疑いの眼差しを向けてみた。

 世界中に存在するシェール(頁岩)層という1000~3000メートル付近の岩盤の隙間に閉じ込められているガスがシェールガス。オバマ大統領が「今後100年間の天然ガス需要を賄える」と演説したことで、一段と注目を集めた。しかし、今年の6月に米国のエネルギー省が公表した「エネルギー見通し年鑑2012年版」で、前年版の埋蔵量から半減の下方修正をしている。もともとが「未確認」などの単語があるように曖昧なものだが、なんとも大幅な下方修正だ。

 実は米国の従来の油田やガス田から生産される在来型ガスはピークを過ぎている。その減少分を石炭層などにあるコールベッドメタンやタイトサンドガスなどの非在来型のガスの生産で穴埋めしてきた。それでも不足するから、さらに生産効率が悪く、コストの高い、そして環境破壊を伴うシェールガスにまで、手を伸ばさざるを得なくなってきということでもある。

 シェールガスはその性質上、一か所に大量に存在することはないから、次々と井戸を掘って、移動しながら採掘することになる。雇用の増加面では期待できるが、利益面では大きなものは期待できず、すでに赤字続きに業者から悲鳴が上がっているとの報道がある。それでも補助金が出るし、投資先のないファンドのお金などが流れ込んでいるので、井戸の数だけはどんどん増えている。アメリカの天然ガス不足が、シェールガスで一時的にしのげたとしても、カナダや南米からの輸入が不必要になるとは期待できないようだ。もちろん、日本に大量に輸出することは、さらに期待できない。

 すでに「シェールガスは本当に有望か」とか「シェールガスは魔法の杖か 天然ガスシフト、冷静に戦略を」あるいは「シェールガスに期待しすぎてはいけないー持続的と考えられていない米国のLNG輸出」などが経済誌に掲載されている。また、科学雑誌「ネイチャー」の1月26日号に掲載された「石油は転換点を超えた」(デビッド・キング教授・オックスフォード大学とジェームズ・マレー教授・ワシントン大学共著)によれば、世界の既存油田の産油量は年々4・5~6・7%も減少しており、シェールオイルやタールサンドなどの非在来型の生産も焼け石に水だという。安い石油の時代が終わったということだけは確かなようだ。こうした現状を見れば、わが国のエネルギー戦略は、脱原子力ではなく、脱化石燃料とならざるを得ないのが明らかになってくる。
コラム-No.3 政治の混迷は民主主義の帰結!? (平成24年10月15日)

 国会が動かない。民主と自民党の党首選が終わり、野田改造内閣が誕生してからでも2週間が経とうとしているが、臨時国会の開催の日程すら決まっていない。記者会見で、輿石幹事長は「どうして慌てるのか」と平然と語った。これはまずいと思ったのか、昨日、「今月中には開きたい」と述べたようだが、依然として「開催する目的を明確にしなければならない」と注釈つきだ。まったく、国民のためという責任意識が皆無だ。

 政権与党として、特例公債法案を一日も早く成立させる責任がある。埼玉県の知事からも資金ショートする恐れがあると政府への非難の声があるが、成立が遅れれば遅れるほど喜ぶのは地方自治体に金を貸している大手銀行だ。国から支給される予定の交付税などの支給がないため、地方自治体は急きょ、地元の地銀などから借り入れている。自治体全体では一日で利息は億円単位になるのではないか。これは特例公債法案が遅れているために国民の税金が利息として金融機関の懐に入っているということだ。一日遅れれば遅れるほど、貴重な税金が浪費されてしまう。

 輿石幹事長は、山梨県の日教組のドンと言われている。日教組はかつての共産主義のソ連や中国を支持。なかには北朝鮮から勲章をもらった元委員長もいるが、戦後一貫してデモやストライキなどの反政府、反米運動を展開し、輿石は筋金入りの闘士だろう。自分たちの主張のためには国民にどのような迷惑をかけようとも意に介しない思想の持ち主とも言える。それが政権与党の幹事長なのだから、国会がストップしようと、自治体が困ろうと、国民が大きな損害を被ろうとも平気だ。

 もちろん、特例公債法案の成立を困難に追い込むことを十分知りながら、参議院で野田首相の問責決議を成立させた自民党も、責任は大きい。しかし、ただ批判するだけでは政治は動かない。大事なことは、現状のお粗末だと思う政治が、実は民主主義と言われるもの持つ本質だと認識する必要がある。
コラム-No.2 現代人は「賢明」だろうか? (平成24年10月10日)

 積極的で楽天的な人と疑り深くて悲観的な人では、同じ事象やデーターを見ても、結論は全く異なるだろう。自分の思考傾向を自覚していれば、修正もできるが、現代人は自分が「賢明」であると思っている人が多いようで、自分の思考能力を疑ってみる人が少ないようだ。端的なのが、原子力発電を2030年代にゼロにしようとデモなどに参加している人々だ。

 再生可能エネルギーで、原子力発電に代替できるとの考えは、明らかに希望的観測だ。再生可能エネルギーで原電の代替ができるのであれば、それは本当に素晴らしいことだ。しかし、今の技術では30%前後も安定的な供給をすることは不可能で、不足分やバックアップ電源は化石燃料に頼らざるを得ない。20年後までに、何らかの技術的なブレークスル―(突破口)が見つかるとの希望に賭けて、自分たちの主張を正当化している。

 もちろん、感情的に原子力を怖がり、原電を廃止したら、わが国のエネルギー事情がどうなるか、経済がどうなるかなど何も考えない人も少なくない。子供たちのために原子力はない方が良いと言っている母親は、わが国が貧困化して、その子供が成長した頃には大学を出ても就職できず、今の就職氷河期なんかとは比べ物にならない状況になっていることなど、想像もしないのであろう。

 地震などに伴う原子力発電所の大事故による生命や健康が侵されるリスクよりも、化石燃料による大気汚染やわが国が貧困化して、犯罪の多発で犠牲者が増えるリスクの方が大きいというのが現状での科学的知見だ。

 脳科学や心理学で、人は見たいものしか見ないというのは、よく知られている。これはある意味生理的なものだが、自分の知りたいことしか知ろうとしない人が圧倒的に増えてきたことは、深刻な問題だ。自分の賢明さを常に疑う賢明さを持ちたいものだ。
コラム-No.1 安倍新総裁に期待する (平成24年10月1日記)

 安倍・自民党新総裁が誕生した。総選挙で政権を奪還し、総理として再登板し、「美しい国日本」を作るために「戦後レジウム(体制)」の清算を大いに期待したい。総理に就任した6年前とは取り巻く内外の状況はさらに厳しくなっているが、国内の政治状況も変わっている。前回、官僚との闘いは孤軍奮闘のようにも見えたが、今回は自民党内で支えてくれる味方も増えそうで、縦割りの弊害の大きな官僚依存からの脱却に指導力を発揮してもらいたい。

 国防の強化、教育改革、経済再生、社会保障制度の改革など、大きな課題が山積している中でも、憲法改正は国のあり方、進むべき方向を明確にする上で、正面から取り組んでもらいたい最優先課題だ。次の総選挙で日本維新の会から新議員が誕生し、新勢力として登場するから、憲法改正を政治の表舞台に登場させてほしい。わが国の安全保障が、日米安保を基軸とすることは言うまでもないが、わが国の国体にふさわしい憲法を作り、真の独立国とならなければ、中国からも韓国からも侮られるだけだろう。

 憲法改正が具体化していけば、国内を二分する論争が予想される。しかし、この論争こそ、わが国が戦後体制から脱却するためには避けて通れない道だ。あまりにも戦後の日本国民は、領土をはじめとして国家に関心を持ってこなかった。今、決められない政治に落ち込んでいるのは、国民が自己の利益にのみ関心を持ち、国家をサービス機関程度にしか考えなくなっているからだ。多くの国民が国家から利益を得ることしか考えなければ、国家の運営が行き詰まるのは当然だ。

 家族や伝統文化を否定し、国家を軽視し、個人の権利を拡大し続けた戦後民主主義を方向転換しようとした安倍政権に対し、朝日を筆頭に戦後民主主義を擁護するメディアが政権叩きに血道を上げた。一方で、靖国神社参拝をしなかったことなどに対する保守からの批判が、政権の足元をすくう形にもなった。次の総選挙で、安倍政権が誕生した時に、保守を自称する人たちは、左翼を応援するような同じ愚を繰り返してほしくない。わが国では「小異を捨てて大同に就く」と言うが、本来の中国語の諺は「小異を残して大同に就く」だ。小異は棚上げしてでも、戦後体制の清算を行い、誇りある独立国家となることを急ぐべきである。