コラム-No.14 漁業者の生活を豊かにするには (平成25年4月15日)

 宮城県の村井嘉浩知事が、10日、宮城県漁協の反対を押し切って、漁業への民間企業参入を促す「水産業復興特区」の認定を復興庁に申請しました。漁業権は、地元漁協に優先的に与えられると漁業法で規定されていますが、復興特区法で、牡蠣や海苔などの養殖を営む「特定区画漁業権」は「地元漁業者の7割以上を含む法人」と「地元漁業者7人以上で構成される法人」にも、知事が漁協と同様に漁業権を与えることができるようになりました。

 今回申請した特区の対象は、宮城県石巻市桃浦地区です。この地区の牡蠣養殖業者15人が「桃浦かき生産者合同会社」を設立し、仙台市の大手水産卸「仙台水産」が出資しています。牡蠣の養殖から加工、販売まで手掛けて、生産額を平成28年度までに従来の1・5倍の3億円にまで伸ばすと共に、40人の雇用増を目指しています。桃浦の業者は、震災前には生食のむき身の牡蠣だけを扱っていましたが、特区が認められれば、加工品などを開発したり、出荷時期を自由に調整したり、弾力的な事業運営ができるようになります。

 これまでの養殖漁業は、漁協が生産物を集めて、共同販売(入札)を行っていました。生産者である漁業者は生産物を漁協に出荷して終わりでした。流通業者は、漁協が並べたものに値段をつけて購入しますが、当然できるだけ安い値をつけようとします。言い換えれば、漁協をはさんで生産者と流通業者・消費市場が分断されていました。消費者の求めているものを供給するのではありませんから、生産者の収入は増えません。生産者が品質の良いものをと努力しても、共同販売であれば評価はされず、努力に見合う対価も得られません。

 儲かる漁業にするためには、消費者が求めているものを供給することです。今の日本の漁業は獲れるだけ獲って、一斉に魚市場に出すので、価格は下がります。しかも、資源を枯渇させてしまいます。漁業の先進的な国では、市場の需要を見ながら漁獲量や出荷量を調整しています。脂ののった消費者の好む大きさに育った魚だけを獲りますから資源保護にもつながります。

 養殖漁業においても、農業と一緒で、生産するだけではなく、市場の動向を見ながら出荷量を決め、また加工したりして付加価値をつけることにより、利益を上げることができます。本来であれば、こうしたことを主導するのが漁協のはずですが、残念ながら漁業権の上に胡坐をかいている状態です。

 県漁協は「特区導入は浜を分断し、混乱させ、復興の妨げになる。県は説明責任を果たしておらず、憤りを覚える」と述べています。しかし、この特区構想は震災後しばらくして出てきた構想であり、県は各地で説明会を開催しています。漁業が衰退を続けており、その責任は漁協にもあります。儲かる漁業へ転換するための具体策を示さず、反対のための反対をするのは無責任です。

 既得権益を守ることしか頭にないような漁協に失望しています。おいしい水産物を国民に提供すれば、漁業者の生活も豊かにすることができますし、それが海の利用を独占的に許されている漁協の責任でしょう。特区に反対するのなら、それに代わる政策を示して、その責任を果たしてほしいものです。

 海は自分たちのものと思っているようですが、国民の共有財産です。それを使わせてもらっているという感謝の心を持つべきでしょう。そうすれば限りある漁業資源の有効利用にも努力する一方で、獲れるだけ獲るという漁業からの脱皮をし、漁業者の生活が豊かになるように工夫するはずです。すでに、海外では多くの成功例があります。政府は速やかに特区を認めてほしいものです。
 


コラム-No.13 政府は実証的な歴史研究に着手せよ (平成25年3月22日)

 安倍首相は、いわゆる『慰安婦問題』に関する新しい政府談話を、戦後70年の節目にあたる2015年に発表する事を目指す考えを、先ごろ発売された韓国誌「月刊朝鮮」のインタビューの中で語ったそうです。これに対して「事実上の見直し延期だ。断念だ」との批判がされています。安倍首相は政権発足当初から、慰安婦問題などの歴史認識を政治問題化しないと語っていますから、どうして「事実上の見直し断念だ」と批判されるのか私には理解できません。はっきりしていることは、歴史認識問題は困難な国際政治の問題だということです。

 歴史は勝者の立場から作られ、勝者が正義を遂行し、敗者が悪者として語られ、流布されます。結果として、勝者の立場を正当化するために、多くの事実の歪曲が行われるのが人間世界の常です。近代史は欧米を中心として、とりわけ20世紀以降はアメリカを中心として物語が作られています。アメリカを正当化するために、語られない事実や歪められた事実が多くあります。

 アメリカが行った原爆投下をはじめ、市民の殺戮を目的とした無差別爆撃などの戦争犯罪を正当化するためには、わが国が非人道的な残虐な国家でなければなりません。南京事件や慰安婦問題はその正当化を支える大事な柱です。南京事件は中国、慰安婦問題は韓国との2国間のみの問題ではなく、米国との問題でもあります。わが国がこの歪曲された事実を正すための行為は、東京裁判を否定し、アメリカの正当性を否定することになります。米国がわが国との同盟関係にあるとはいえ、これを受け入れるには、日米の戦争の生々しい傷が薄まるだけの時間の推移が必要でしょう。

 世界は多極化が進んでいるといえども、アメリカは依然として覇者であり、アメリカ中心史観、とりわけ第二次世界大戦の勝者を貶めることになるような歴史の書き換えは現時点では容易ではないと思います。しかし、歪曲された歴史の是正を求めることは当然です。事実と反する歴史が語られることを放置し、国家、民族の名誉を棄損することを黙認するのは国家、国民の怠慢です。名誉回復のためにも、教訓を学ぶ意味でも、事実を検証する作業は国家の責任です。そのために政府の手で、自国の公文書や関係文書などの資料を収集、整理しなければなりません。

 さらには、外国の資料も収集、整理することが必要であり、専門家に調査を委託することが必要です。収集整理した関係資料を、英語はもとより、中国語、韓国語などにも翻訳し、世界から自由にアクセスできるような環境整備も不可欠です。情報発信能力を高めることも、わが国の課題の一つですので、『近代史検証』を是非、速やかに政府主導で着手してほしいと思います。



コラム-No.12 武道を嫌いにするな (平成25年1月31日)

 ロンドン五輪代表を含む女子柔道選手15人が、強化指導陣から暴力行為を受けたと告発された問題は、大阪市立桜宮高校の問題とも合わせ、わが国のスポーツ界に大きな転換を求めていると思います。体罰を全面的に否定するつもりはありませんが、あまりにも指導の仕方が拙劣な指導者が多いのも事実です。勝利至上主義にとらわれて、指導陣自らが指導力向上への真摯な努力、自己の人格練磨が欠落しているように感じます。

 スポーツにおいて、と言うよりも何事にもおいても、技術、体力、精神力が必要です。それらの向上のために厳しい練習や訓練をします。技術や体力の鍛錬にはそれぞれの選手に合わせて、合理的な指導が求められます。技術のコツを掴むためには、合理的な説明で理解させ、繰り返し練習し、また弱い部分の筋力は重点的に鍛えることになるでしょう。

 難しいのは精神力の鍛錬でしょう。精神力がすべての基礎になります。闘争心の強さが、100%以上の力を引き出すこともあります。その闘争心の源が怒りであることもあるでしょう。しかし、一方で冷静さを失えば、筋肉も硬直し、勝利から遠ざかることが多いのが現実です。

 最後まであきらめない粘り強さなどの強靭な精神力はどうすれば得られるでしょうか。答えは一つではないと思います。個々人の性格が違うように、その指導方法も異なるはずです。「人を見て法を説け」という言葉の通りです。

 「死ね」「代表から外すぞ」などの言葉や、胸や頭を小突いたり、竹刀で叩いたりすることで、技術や体力は鍛えられませんから、精神力の鍛錬になると思っているのでしょうか。それを受容する以外に選択肢がない時代には、一定の効果があったかもしれません。しかし、現在では、それが指導者の怒りに任せての言動や、指導力の未熟さから出たものであれば、逆効果です。

 柔道界の日本代表チームの指導者が依然としてこうした指導を容認していることこそ、お家芸である柔道の衰退を象徴していると思います。ロンドン五輪での女子柔道は、金メダルが一つに終わりました。男子はゼロでした。その分析もないまま、女子の監督は続投が決まりました。ある意味では、相撲協会と同じように、指導方法や指導力の検討もなく、人間関係で指導陣が決まっているのではないかと危惧してしまいます。

 それよりも懸念するのは、学校などでの柔道の指導者が、暴力や暴言をもって指導することを当然と考えていることです。幼年期から、柔道のみならず、剣道などの武道を好きで始めた子供たちが、嫌いになって止めると、根性がないなどとその子供の責任とされてきました。しかし、指導方法に問題はなかったのでしょうか。ピアノや英会話の指導で暴力や暴言を使う指導者はいないはずです。できない子供を、能力に応じて、できるようにしてやるのが指導者の能力です。学校教育においては特にそれが望まれます。それぞれのスポーツを経験し優秀な成績を残してきただけで、指導者になれる時代に終止符を打つべきです。指導者になるための知識の習得と指導方法の訓練が必要だと思います。今回の事件を、武道の素晴らしさをわが子孫に伝えていくとともに、世界に発信していくための好機に転換して欲しいものです。



コラム-No.11 競争なくして活力なし (平成25年1月9日)

 安倍政権の経済政策であるアベノミックスへの期待が高まる一方で、朝日新聞をはじめとする、イデオロギー的に反安倍、嫌安倍派の連中がケチをつけ始めました。アベノミックスにリスクがあるのは当然です。リスクを冒さずに、大きな利益を得ることはできないのは、この世の摂理です。競争のないところに、活力はありません。不公平も格差も拡大するでしょう。

 しかし、今のままで縮こまって、全国民貧窮化の道を歩むのをよしとするのでしょうか。それとも活力ある社会、若者が希望の持てる社会を取り戻すのかという二者択一です。選択肢は明らかでしょう。アベノミックスでやると政府が決めた以上、その政策に沿って国民が頑張る以外に豊かな社会は訪れません。もちろん様々な弊害や歪みをできるだけ小さくするように政策をチエックすることが必要です。それが朝日などメディアの仕事のはずです。

 2%のインフレに成功すれば物価が上がりますが、給与はすぐに増えません。平均すれば2%というインフレは、庶民には日常生活の必需品はもっと上がったという実感に襲われるでしょう。「日銀がもっともっとお金をばらまけば、景気が良くなる」と主張している楽観的立場の森永卓郎・獨協大学教授だって、「三年くらいたてば、給与が上がるでしょう」と言っているくらいですから、しばらく辛抱するのはやむを得ません。

 今日のTBSの「朝ズバッ!」で、みのもんた氏が、「インフレで物価が上がれば、仕入れ値が上がり、中小零細企業は苦しくなる。大企業が儲けて、納得いかないな」と批判的な発言をしていました。しかし、お金だって上から下へしか流れません。大企業が儲けて、中小零細への仕事が増えなければ、中小零細の懐が潤うことはありません。中小、零細が大企業と同時に、あるいは大企業より先に儲かるとは考えられません。原子力発電を廃止しろという司会者としてはふさわしくない発言もあり、引退をしてほしいものです。

 活力とは競争です。競争のない社会は停滞や衰退があるのみです。競争に参加せず、マイペースで仕事をしたければ、それなりの収入しか得られません。人並み以上に努力せずして人並み以上の収入を得ることはできない、これが自然の法則であることを、戦後の日本人はどこかへ置いてきてしまったようです。



コラム-No.10 理解不能の朝日新聞の記事
 (平成25年1月3日)

 新しい年を迎える度に、憲法改正への歩みを確かなものとしてほしいと夢見てきました。今年こそ、この初夢が安倍政権の誕生で実現しそうです。それで慌てているのが朝日新聞でしょう。その表れが、1月3日の記事にも見てとれます。日本憲法の草案作りに直接携わった米国人ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日に死去されたのを5面の肩の記事で報じると共に、天声人語でも取り上げています。朝日が大きく取り上げた意図は「改憲の動きに警鐘」という見出しにしっかり表れています。

 天声人語の書き出しは「『日本国憲法は押し付けられた』『いや、そうではない』と戦後68年の今も論議は続く。その憲法草案づくりに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、いつもこう語った。『日本の憲法はアメリカよりすばらしい』。そして憲法が日々の暮らしに根を張ることを願ってきた」となっています。

 天声人語の記事の中には「押しつけ」か「否か」の直接の回答はなくて、5面の記事で触れられています。「彼女の存在自体が、『憲法は押し付けられた』という言説への反証だった。『草案者たちは、民主主義社会の実現を目指しながらも、日本の文化や懸念にも非常に敏感でした。日本側の発言によって、草案が変わった部分もあります』と指摘していた」としています。

 「反証だった」ということは、朝日新聞は「押し付け憲法」を否定しているのは明らかでしょう。しかし、彼女の「日本側の発言によって、草案が変わった部分もあります」との指摘は、言い換えれば「日本側の発言にもかかわらず、草案が変わらなかった部分もある」ということです。普通の日本語の解釈では、「一部は日本側の主張が受け入れられましたよ」と彼女は言っているだけです。何故、「彼女の存在自体が」押し付けでないことを証明しているのかが理解できません。彼女が自己の理想を盛り込んだことを語っているのですから、むしろ彼女の存在自体が押し付けであることの証拠だと思うのが普通の解釈ではないでしょうか。

 「押し付け」の反対は「自主」だと思うのですが、朝日新聞は日本国憲法を「自主憲法」だと考えているのでしょうか。草案段階から政府レベルで議論し、国会で制定したのであれば、自主憲法でしょうが、政府の草案を否定され、占領軍司令部の草案を示された段階で、とても自主憲法とは言えないでしょう。

 その象徴が憲法9条です。1項、2項とも、日本側の主張で文章が加えられて変更されたことはよく知られています。しかし、「軍隊を保持することを許さない」という占領軍司令部の基本方針は議論の余地はありませんでした。その結果、憲法9条2項の後段は「国の交戦権は、これを認めない」となっています。ところが、交戦権という言葉は、占領軍司令部で憲法を起草したチャールズ・ケイディス氏も指摘しているように、意味不明です。わが国の憲法学会でも未だに解釈は分かれています。押し付け憲法のなせる業です。

 憲法改正への大きなうねりを阻止したい朝日の焦りが、こうした理解不能な記事になったのだと思います。



コラム-No.9 中日新聞の宣戦布告!? (平成24年12月27日)

 人品の尊卑は、その人の言動を見れば分かると言います。とりわけ、嫌いな人を批判する言葉に現れやすいので気を付けたいものです。12月27日付けの中日新聞には、その品位を疑わせる言葉が躍(おど)っている記事が掲載されています。「安倍内閣を名付けるなら」との見出しで列挙しているのが、「まぐれ敗者復活」「極右はしゃぎすぎ」「国防軍オタク」「厚化粧」「逆戻り」などと、世間一般では「罵詈雑言」の部類に入る表現です。

 公の場で人を評する時に、本人に面と向かって言えない言葉は、本人がいない場でも言うべきではないと教えられました。中日新聞の総理担当記者は、この記事を堂々と安倍総理本人に見せることができるのでしょうか。それとも中日新聞社の編集長は、政治家はどんな言葉で批判されても甘受すべきだと思っているのでしょうか。

 中日新聞が安倍総理を嫌いなのは一目瞭然です。これほどあからさまなのも珍しいくらいです。一般紙とスポーツ紙を比べれば、少なくとも一般紙の方が、使用する言葉や表現において、品位が保たれています。しかし、この記事は感情が露骨に表れています。批判するにも、礼儀があり、作法があるはずですが、何らの抑制もありません。

 総選挙で国民から政治を付託された衆議院議員の多数が選んだ、就任したばかりの総理大臣に対して、何らの敬意も節度もありません。これは自民党に投票した人ばかりではなく、国民に対する侮蔑です。ということは、中日新聞は天に唾しているに等しいと思います。

 わが国の政治報道は政策の是非や調査報道ではなく、誰と誰がどこで会ったとか、誰が誰を批判したとか、いわゆる政局報道が主体で、欧米と比べても水準が低いと言われます。今回の中日新聞の記事は、記事の質ばかりか、新聞社の品位まで下げてしまいました。もちろん、これは日本人全体の品位の劣化を示しているのでしょうから、他人事とは思わず自ら心すべきことと自戒しています。

 一方で、この記事は中日新聞が行った安倍内閣に対する宣戦布告と読むべきなのかもしれないなと思っています。



コラム-No.8 思考停止するな (平成24年11月28日)

 “卒”原発を掲げた未来の党が旗揚げをした。どうやら日本人の多くが原子力発電に関して思考停止に陥っているようだ。原子力問題はエネルギー問題の一分野であり、エネルギー問題は国家の安全保障に関わる重要な分野であるが、景気雇用対策、財政再建、年金問題そして国防と外交、あるいは教育など、政治の課題は多岐にわたっている。 “反”原子力だけで「この指とまれ」と呼びかけた党に、政策協議もなく参加を表明する議員が多いのには驚いてしまう。本当は政権獲得など目指しておらず、無責任で、気楽な“批評家”で、高給与が保証された国会議員が希望なのかと思ってしまう。

 わが国の置かれた厳しい状況を理解すれば、自己の能力に大きな自信がなければ政治家は目指せない。安全保障や外交問題は言うまでもなく、分かっているつもりの教育や医療においても、多くは一部分であり、一面的だ。全体的な問題点を的確に理解し、整合性のある教育制度や医療制度を政策に立案するのは、猛勉強が必要だ。それぞれの専門家の講義を聴き、関連書物を読み、現場を見て、意見交換をし、議員と討論をする。これらの努力をしなければ官僚との議論はできず、言いなりになるだけだ。どれだけの候補者がそうした厳しい自己研鑽をする覚悟をしているのだろうか。

 原子力発電を廃棄すればエネルギー問題が決着したかのように思わせる政治家もマスメディアも無責任だ。北海道が昨日から、冬の嵐に襲われ、停電で、自宅を出て避難せざるを得なくなっている。北海道電力などが復旧に全力を挙げているが、これは経営に余裕があるからこそ経費を惜しまず、人員を投入できる。発送電の分離を行うというが、送電を担う企業は、今と違って、経営余力が少なくなるのは必至だ。そうなれば復旧の速度は、多くの外国並みに遅くならざるを得ない。電気料金が倍になり、災害の際にはすぐには復旧しないという状況も覚悟が必要だが、そんな話は闇の中だ。

 原子力政策が重要でないとは言わないが、もっと重要で困難な問題が山積している。強い指導力、実行力を持って、時機を逸せず、果敢に断行する、それが今のトップリーダーに求められている。陰や裏で、古狸のボスが暗躍する国会にだけはしたくないものだ。



コラム-No.7 中国共産党が戦いを仕掛けてきた (平成24年11月15日)

 中国共産党の第18回党大会が14日に閉幕したが、今日、中央委員会第1回全体会議が開催され、注目の人事が発表される。習近平が党総書記になることは間違いないようだが、誰がトップになろうとも、日中間の緊張状態は当分続く。今後の焦点は、南京陥落75周年の12月13日に中国共産党がどうでるかだ。中国がでっちあげた30万人の虐殺という南京事件、国際社会でわが国を誹謗する道具であるだけに、世界中でデモを行い、尖閣とからめての宣伝工作も予想される。これに負けずに、南京事件を歴史年表から消すためにも、わが国から世界へ発信していかなければならない。

 党大会が閉幕した14日に、「『南京裁判』展転社を支援する報告決起集会」が都内で開催され、日本を守り、言論の自由を守ろうと、伊藤哲夫、宮崎正弘、水島聡、藤岡信勝各氏などが呼びかけを行った。この裁判は、南京事件で様々な証言を行った夏淑琴氏が、彼女の証言の矛盾点を指摘した書籍の著者と出版社を、「精神的苦痛」を与えられたと南京の人民法院に訴え、人民法院は欠席裁判で賠償を命じる判決を得て、今回、その判決の執行を東京地裁に求めたもの。

 仮に、こんな執行が認められれば、中国批判の書籍を出した日本人や出版社は次々と中国の裁判所に損害賠償請求の訴訟を提起される。当然、中国まで行って応訴するなんてことは経費上も考えられないし、そもそも中国には裁判の独立もないのだから、敗訴するのは分かっている。本紙にも、かつて、黄門様のいない中国社会という記事を書いたが、行政、軍はもちろん、司法も共産党の下にある。共産党の幹部はどんな悪事を働いても、権力闘争に敗れない限り、罰せられることはない。中国では、どんな判決も共産党の方針に従わざるを得ないのである。そもそも、大学どころか、中学を出たのかどうかも分からない人間が裁判官になる社会だ。

 当然、今回の東京地裁への提訴も共産党の承認を得ている。この裁判は、中国共産党が日本国内での中国批判を封じることが目的である。言論の自由の封殺だ。国際社会では相互主義が原則だが、日本で中国在住の中国人を訴えて、損害賠償の判決を得ても、中国の裁判所がその執行を認めるはずがない。従って、相互主義に立つ限り、今回の提訴が認められるはずがない。しかし、これまでも、南京事件や百人斬り事件など、中国がらみの裁判では、信じられない判決が出ている。歴史や中国人を知らない無知で偏向している裁判官が多いだけに、決して油断はできない。仮に、日本の司法がこの執行を認めるような判決を行えば、憲法が保障した言論の自由を裁判所自体が侵害することになる。

 この裁判は、単なる個人や一出版社の問題ではない。中国共産党がわが国の言論の自由を封殺するために仕掛けてきた戦いである。この裁判を大いに支援していきたい。



コラム-No.6 民主主義って何でしょう?! (平成24年11月7日)

 今朝のワイドショウを見ていたら、茨城県のかすみがうら市で国家公務員よりも7%程度高いと言われる当市の職員給与の削減を求めた市長の提案を否決した議長が、その理由として、「組合との話し合いがついておらず、民主主義に反する」と述べたのには思わず笑ってしまった。議長はその他の理由も述べたのだろうが、給与削減案を否決するのに、民主主義を持ち出すのは、民主主義の根幹である議会の役割を理解していないか、軽く見ているようだ。
 かすみがうら市は平成17年に霞ヶ浦町と千代田町が合併して誕生した。どうやら合併に際しては、両町の建設業者などの既得権益を壊さないように棲み分けが行われたようで、本庁機能も二分し、談合などの仕切り役も旧来のままで、合併による行財政の効率向上や住民の利便性向上にはつながっていないとの指摘があった。
 そんな中で初代市長が汚職で逮捕された。官製談合と業界談合の縄張りを巡る業者の賄賂メモが外部に流出したことで、暗部の実態が明るみに出た。市長の辞職に伴う市長選が平成18年に行われたが、利権調整が行われたのか、2代目の市長は無投票で当選した。その市長が議員報酬を4割アップする条例を提案し、可決された。
 合併の際の密約とも言われたことから、さすがに住民は怒った。「かすみがうら市を元気にする会」が結成され、条例制定の署名活動を開始したのである。集まった署名数は有権者数の3分1を上回った。これに慌てた議会は、報酬を元に戻す条例改正を行った。元気にする会は、それ以後も市政刷新の運動を続けた。
 そして平成22年の市長選で誕生したのが、元気にする会の事務局長だった現市長だ。僅差の当選で、議会は16名の議員のうち、反市長派が11名。誰もが予想していたように、市長が提案した議案のうち、職員の給与削減など市長の公約の多くの議案が否決されている。今年6月の議会で従来の削減幅を半減した、5回目の給与削減案を提案したものの否決されたことから、議会解散を請求するリコール運動を行ったが、必要な署名約12000に、670ほど不足した。
 こうした背景で、議長の発言がある。民主主義とは無縁の、市政を巡るどろどろした権力闘争があるのは明らかだ。何よりも、労使が当事者同士で話し合いがつかなければ、市民の代表者である議員が、適切な賃金水準について議会で開かれた議論をするのが民主主義だ。自分たちの行動を正当化するために、民主主義という言葉でごまかすのは止めて、自己の責任を痛感してほしい。もちろんこれはかすみがうら市だけの問題ではない。



コラム-No.5 朝日に対して沈黙を続ける部落解放同盟 (平成24年10月28日)

 橋下・大阪市長の出自を取り上げた「週刊朝日」の記事は、同和問題に取り組んできた弊紙としては信じられない内容で、部落差別を取り上げた島崎藤村の小説「破戒」を思い出した。「橋下徹のDNAをさかのぼり、本性をあぶりだす」として、橋下氏が被差別部落の出身だから、人間性が卑しいと決めつけている。被差別部落の人の血は穢れているという何の根拠もない、非科学的な差別観がこの記事の根底にあり、絶対に許されないことだ。
 DNAを問題視するということは、あたかも遺伝的に問題があるかのように取り上げ、その上で、被差別部落を「八尾市○○地区」と特定することも、これまでの部落差別解消の取り組みに逆行している。また、やくざに被差別部落の出身者が多かったことも事実であるが、そのことや父親の行状と橋下氏は何の関係もないし、むしろ苦学して司法試験に受かったことを褒めるべきだろう。
 これまで朝日新聞社は差別を批判し、人権尊重を掲げ、一貫して差別される側に立っていたはずだが、今回の記事でそれが単なる権力批判の手段であったことが判明した。福島の原電事故でも、朝日出版発行の「週刊アエラ」は「普通の子供産めますか〜福島の子供たちへの手紙」という記事は、放射線を浴びた福島の女性は子供を産んではいけないとほのめかしている。
「普通の子供」という表現自体にも問題があるが、今回の福島の放射線量では遺伝的には何の心配もない。広島、長崎でも被曝2世に遺伝的障害は認められておらず、まさに非科学的で悪質なデマである。チェルノブイルでは、多くの女性が必要もない堕胎を行うという悲劇があったが、アエラの記事はそうした悲劇を招きかねない。また多くの女性に不安を与え、あるいは福島の女性に対する差部をまねきかねない恐るべき記事だ。
 これほどまでに人権否定の差別的記事を掲載した朝日のこれからの対応が注目されるが、それ以上に注目すべきは部落解放同盟の言動だ。部落解放同盟がこれまで主張してきた「根深い差別意識」の存在が実証されたわけだから、全国的に激烈な抗議行動が起こって当然だ。今日現在、この記事が掲載されたにもかかわらず、部落解放同盟の発言や行動がどこにも見当たらない。
 落書きが発見されただけで、市役所や企業のトップをはじめ、管理職を全員集めて、謝罪と反省、今後の対策を明らかにする糾弾会が行われている。週刊朝日の編集長、社長は当然として、親会社の朝日新聞社の社長以下重役陣が全員出席する糾弾会が開催されることが予想される。また、直ちに、記者や管理職全員を対象とした人権の研修会の開催を要求するはずだ。
 許されない差別事件が起こったにもかかわらず、今日現在、沈黙を続ける部落解放同盟を注目せざるを得ない。部落解放同盟は差別解消のための糾弾会を権利とし、正当性を主張しているのだから、是非とも朝日の糾弾会は公開してもらいたい。



コラム-No.4 シェールガスは本当に期待できるの? (平成24年10月22日)

 NHKは「シェールガス革命」と題した番組の放映や、ニュース番組の中で度々シェールガスを取り上げているが、「世界のエネルギー地図を塗り替えるかもしれないと脚光を浴びてます」と紹介があるように、大きな期待を持たせる内容となっている。これらの番組を見て「日本の原子力発電の時代は完全に終わったと確信した」とか、「これからはシェールガスの時代だ」と思った人も少なくないようだ。「革命」と称されたもので、いい結果が長続きしたことはないのが歴史的事実だけに、疑いの眼差しを向けてみた。
 世界中に存在するシェール(頁岩)層という1000〜3000メートル付近の岩盤の隙間に閉じ込められているガスがシェールガス。オバマ大統領が「今後100年間の天然ガス需要を賄える」と演説したことで、一段と注目を集めた。しかし、今年の6月に米国のエネルギー省が公表した「エネルギー見通し年鑑2012年版」で、前年版の埋蔵量から半減の下方修正をしている。もともとが「未確認」などの単語があるように曖昧なものだが、なんとも大幅な下方修正だ。
 実は米国の従来の油田やガス田から生産される在来型ガスはピークを過ぎている。その減少分を石炭層などにあるコールベッドメタンやタイトサンドガスなどの非在来型のガスの生産で穴埋めしてきた。それでも不足するから、さらに生産効率が悪く、コストの高い、そして環境破壊を伴うシェールガスにまで、手を伸ばさざるを得なくなってきということでもある。
 シェールガスはその性質上、一か所に大量に存在することはないから、次々と井戸を掘って、移動しながら採掘することになる。雇用の増加面では期待できるが、利益面では大きなものは期待できず、すでに赤字続きに業者から悲鳴が上がっているとの報道がある。それでも補助金が出るし、投資先のないファンドのお金などが流れ込んでいるので、井戸の数だけはどんどん増えている。アメリカの天然ガス不足が、シェールガスで一時的にしのげたとしても、カナダや南米からの輸入が不必要になるとは期待できないようだ。もちろん、日本に大量に輸出することは、さらに期待できない。
 すでに「シェールガスは本当に有望か」とか「シェールガスは魔法の杖か 天然ガスシフト、冷静に戦略を」あるいは「シェールガスに期待しすぎてはいけないー持続的と考えられていない米国のLNG輸出」などが経済誌に掲載されている。また、科学雑誌「ネイチャー」の1月26日号に掲載された「石油は転換点を超えた」(デビッド・キング教授・オックスフォード大学とジェームズ・マレー教授・ワシントン大学共著)によれば、世界の既存油田の産油量は年々4・5〜6・7%も減少しており、シェールオイルやタールサンドなどの非在来型の生産も焼け石に水だという。安い石油の時代が終わったということだけは確かなようだ。こうした現状を見れば、わが国のエネルギー戦略は、脱原子力ではなく、脱化石燃料とならざるを得ないのが明らかになってくる。



コラム-No.3 政治の混迷は民主主義の帰結!? (平成24年10月15日)

 国会が動かない。民主と自民党の党首選が終わり、野田改造内閣が誕生してからでも2週間が経とうとしているが、臨時国会の開催の日程すら決まっていない。記者会見で、輿石幹事長は「どうして慌てるのか」と平然と語った。これはまずいと思ったのか、昨日、「今月中には開きたい」と述べたようだが、依然として「開催する目的を明確にしなければならない」と注釈つきだ。まったく、国民のためという責任意識が皆無だ。
 政権与党として、特例公債法案を一日も早く成立させる責任がある。埼玉県の知事からも資金ショートする恐れがあると政府への非難の声があるが、成立が遅れれば遅れるほど喜ぶのは地方自治体に金を貸している大手銀行だ。国から支給される予定の交付税などの支給がないため、地方自治体は急きょ、地元の地銀などから借り入れている。自治体全体では一日で利息は億円単位になるのではないか。これは特例公債法案が遅れているために国民の税金が利息として金融機関の懐に入っているということだ。一日遅れれば遅れるほど、貴重な税金が浪費されてしまう。

 輿石幹事長は、山梨県の日教組のドンと言われている。日教組はかつての共産主義のソ連や中国を支持。なかには北朝鮮から勲章をもらった元委員長もいるが、戦後一貫してデモやストライキなどの反政府、反米運動を展開し、輿石は筋金入りの闘士だろう。自分たちの主張のためには国民にどのような迷惑をかけようとも意に介しない思想の持ち主とも言える。それが政権与党の幹事長なのだから、国会がストップしようと、自治体が困ろうと、国民が大きな損害を被ろうとも平気だ。
 もちろん、特例公債法案の成立を困難に追い込むことを十分知りながら、参議院で野田首相の問責決議を成立させた自民党も、責任は大きい。しかし、ただ批判するだけでは政治は動かない。大事なことは、現状のお粗末だと思う政治が、実は民主主義と言われるもの持つ本質だと認識する必要がある。



コラム-No.2 現代人は「賢明」だろうか?  (平成24年10月10日)

 積極的で楽天的な人と疑り深くて悲観的な人では、同じ事象やデーターを見ても、結論は全く異なるだろう。自分の思考傾向を自覚していれば、修正もできるが、現代人は自分が「賢明」であると思っている人が多いようで、自分の思考能力を疑ってみる人が少ないようだ。端的なのが、原子力発電を2030年代にゼロにしようとデモなどに参加している人々だ。
 再生可能エネルギーで、原子力発電に代替できるとの考えは、明らかに希望的観測だ。再生可能エネルギーで原電の代替ができるのであれば、それは本当に素晴らしいことだ。しかし、今の技術では30%前後も安定的な供給をすることは不可能で、不足分やバックアップ電源は化石燃料に頼らざるを得ない。20年後までに、何らかの技術的なブレークスル―(突破口)が見つかるとの希望に賭けて、自分たちの主張を正当化している。
 もちろん、感情的に原子力を怖がり、原電を廃止したら、わが国のエネルギー事情がどうなるか、経済がどうなるかなど何も考えない人も少なくない。子供たちのために原子力はない方が良いと言っている母親は、わが国が貧困化して、その子供が成長した頃には大学を出ても就職できず、今の就職氷河期なんかとは比べ物にならない状況になっていることなど、想像もしないのであろう。
 地震などに伴う原子力発電所の大事故による生命や健康が侵されるリスクよりも、化石燃料による大気汚染やわが国が貧困化して、犯罪の多発で犠牲者が増えるリスクの方が大きいというのが現状での科学的知見だ。
 脳科学や心理学で、人は見たいものしか見ないというのは、よく知られている。これはある意味生理的なものだが、自分の知りたいことしか知ろうとしない人が圧倒的に増えてきたことは、深刻な問題だ。自分の賢明さを常に疑う賢明さを持ちたいものだ。


コラム-No.1 安倍新総裁に期待する (平成24年10月1日記)

 安倍・自民党新総裁が誕生した。総選挙で政権を奪還し、総理として再登板し、「美しい国日本」を作るために「戦後レジウム(体制)」の清算を大いに期待したい。総理に就任した6年前とは取り巻く内外の状況はさらに厳しくなっているが、国内の政治状況も変わっている。前回、官僚との闘いは孤軍奮闘のようにも見えたが、今回は自民党内で支えてくれる味方も増えそうで、縦割りの弊害の大きな官僚依存からの脱却に指導力を発揮してもらいたい。
  国防の強化、教育改革、経済再生、社会保障制度の改革など、大きな課題が山積している中でも、憲法改正は国のあり方、進むべき方向を明確にする上で、正面から取り組んでもらいたい最優先課題だ。次の総選挙で日本維新の会から新議員が誕生し、新勢力として登場するから、憲法改正を政治の表舞台に登場させてほしい。わが国の安全保障が、日米安保を基軸とすることは言うまでもないが、わが国の国体にふさわしい憲法を作り、真の独立国とならなければ、中国からも韓国からも侮られるだけだろう。
 憲法改正が具体化していけば、国内を二分する論争が予想される。しかし、この論争こそ、わが国が戦後体制から脱却するためには避けて通れない道だ。あまりにも戦後の日本国民は、領土をはじめとして国家に関心を持ってこなかった。今、決められない政治に落ち込んでいるのは、国民が自己の利益にのみ関心を持ち、国家をサービス機関程度にしか考えなくなっているからだ。多くの国民が国家から利益を得ることしか考えなければ、国家の運営が行き詰まるのは当然だ。
 家族や伝統文化を否定し、国家を軽視し、個人の権利を拡大し続けた戦後民主主義を方向転換しようとした安倍政権に対し、朝日を筆頭に戦後民主主義を擁護するメディアが政権叩きに血道を上げた。一方で、靖国神社参拝をしなかったことなどに対する保守からの批判が、政権の足元をすくう形にもなった。次の総選挙で、安倍政権が誕生した時に、保守を自称する人たちは、左翼を応援するような同じ愚を繰り返してほしくない。わが国では「小異を捨てて大同に就く」と言うが、本来の中国語の諺は「小異を残して大同に就く」だ。小異は棚上げしてでも、戦後体制の清算を行い、誇りある独立国家となることを急ぐべきである。